拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

KANATA 3

翌日も、いつも通りに、目が覚めた。


「おはよう。」
まずは、夫の遺影に、朝の挨拶をするのは、

あの頃から、ずっと何年も欠かしたことのない私の朝の習慣だ。


それから、お化粧をして、身なりを整える。
これも、若い頃から変わらない私の習慣。


年を重ねれば、老化はするが、努力を怠ってはならない。
夫の年齢を超えた頃から、この想いが強くなったのは、
年を取らなくなってしまった夫への、私なりの愛情表現なのかも知れない。


その割には、例えば立ち上がる時には、
どっこいしょ
などと、いつの頃からか、

こんな言葉が口をついて出るようになってしまった。


近所の友人4人で、お茶を飲んだのは、昨日のことだ。


どっこいしょ
よっこいしょ
よっこいせ
よいしょ


そろそろ時間だという時に、皆が一斉に立ち上がりながら、
それぞれに掛け声を掛けながら立ち上がったものだから、
最後に皆で笑ったことを思い出す。


年を取るのは嫌だねぇ
そんな話をしながら、お茶飲みはお開きになった。


化粧をしながら、
鏡の向こう側の自分をまじまじと見つめ、
頬に手を当ててみる。


「私だけ、随分、年を取ったのね。」
思わず、独り言を呟いた。


深く刻まれた皺と、弾力がなくなった肌。
今の私は、夫が知っている私とは、まるで別人だろう。


こんなにおばあちゃんになっちゃって、

夫が迎えに来てくれた時には、

ちゃんと私のことが分かるのかしら。


「でもまぁ、長生き出来て、幸せだわね。」
鏡の向こう側へ向かって微笑むと、朝食の準備に取り掛かった。


朝食を摂り、家事を一通り終えると、

ホッと一息をつきながら、携帯電話の画面を眺めた。


「あら?」
思わず、こんな声を上げてしまったのは、

携帯電話の画面に、違和感を感じたからだった。


私の携帯電話であることは、間違いない。
ケースも、アプリの配置も見慣れたものだ。
それなのに、違和感がある。
もう一度、よく、携帯電話の画面を見つめ、
漸く気が付いた。


画面右下に、見慣れないアプリが入っているのだ。


それは、綺麗な空色を背景に、白色の文字で、
【KANATA】と書かれた、見慣れないアプリだった。


入れた覚えのないアプリを恐る恐るタップしてしまったのは、
アイコンがとても綺麗な空色だったから、という理由からだった。


アプリを開くと、
空の写真を背景に【ようこそ】の文字が浮かび上がった。


次に現れた画面には、
【逢いたい故人の名前を入力して下さい】とある。


私は、迷わず、亡き夫の名前を入力した。


【読み込み中】
暫く、そんな画面から動かずにいたが、

漸く、画面が取り込まれた。


そこに映っていたのは、

こちらをじっと見つめる最愛の夫の姿だった。

 

 

 

 

 

KANATA 2

亡き夫に手紙を書き始めてから、もう、何年が経っただろう。


夫が亡くなってから、2年が経とうとする頃から、
数十年、私はこうして、

夫への手紙を書いては、インターネットに掲載し続けてきた。


きっと、空の彼方にいる夫の元へ、この手紙が届きますように。
そんな願いを込めて。


夫が亡くなったのは、あの子・・・夫との間に生まれた息子が、

中学1年生に上がった最初の夏休みのことだった。


あれから、大変なことも、苦労したことも、たくさんあったけれど、
あの子が成長していく姿を見守るのは、本当に楽しかった。


いつの頃からか、夢を持ったあの子は、

そこへ真っ直ぐに向かって歩むようになり、
自分の夢を叶え、今では、夫の年齢を超え、
先日、おじいちゃんになった。


あの子は、立派に成長してくれた。


今は、遠くから、あの子や、あの子の大切な家族の幸せを祈りながら、

私は、ひとり、静かに暮らしている。


最愛の夫を亡くし、絶望しかなかった私だけれど、
あの子に支えられながら、いつしか、私も、夢を持つことが出来た。


立ち止まっては、あの頃の夫を想い、泣きながら、前を向く。


そんなゆっくりとした人生を歩んできたけれど、
私もまた、夢を叶えることが出来た。


夢の先に見た新たな夢。
私は、これまでに持ったいくつかの夢を叶えることが出来た。


いつか私がこの世を去る日に、
迎えに来てくれた夫に、胸を張って逢える私になったと思う。


あの子の成長する姿を見守り、自分の夢を叶えた。


私はもう、やり残したことは、

ひとつもないのだと思う。


先日、ひ孫が生まれ、あの子は、おじいちゃんになった。


あの子が孫を抱く姿を見届けたら、きっと、

この人生に思い残すことは何もないのだろう。


これは、若かった私が、思い描いていた未来だった。


漸く、ここにあの頃の夢が叶った。


あの子は、もう、大丈夫。
自分の居場所をみつけて、幸せに暮らしている。


あの子が、自分の孫を抱いて笑った姿を見た時に、私は、思ったのだ。
この人生で集める幸せのカケラは、きっと、これで全部、集まったのだと。


それでも、夫への、手紙を更新するのを躊躇い、
下書き保存のまま、パソコンの電源を切った。


【更新】


それは、私にとって、

夫への手紙の投函を意味する。


電源が落ちた真っ暗な画面を眺めながら、小さくため息を吐いた。


この手紙を読んだら、あの人は、どんなふうに思うのだろう。
これは、生きたくても、生きることが出来なかった人に、送る手紙だろうか。


この人生に、もう悔いはないから迎えに来てくれとは、

随分と、身勝な気がして、更新を思い止まったのだ。


ため息を吐いて、庭に出た私は、空を見上げた。


夫と出会った夏が、また今年も終わりを迎えようとしている。
今は、丁度、夏と秋の間。
綺麗に染まった夕焼け空を見つめながら、
夫の、大きな手の温もりを思い出し、
大粒の涙が零れ落ちる。


ねぇ、あなた
お迎えは、いつになりますか


夫に宛てた手紙の更新ボタンを押せないままに、
つい、本音が漏れ出てしまった。

 


・・・夫に、逢いたい。

 

 

 

KANATA 1

※※※

これは、ずっと、ずっと先の、未来のお話。

亡き夫の分まで生きて、

おばあちゃんになりたいという、

私の夢が叶った先の物語です。

※※※

 

 

 

あなたへ


あなたを見送ってから、

これまでの日々のことを振り返っていました。


あの日から、私の歩むスピードは、随分と、ゆっくりでしたが、
幸せのカケラを、ひとつ、ひとつ拾い集めながら、
自分のペースで歩んできました。


あなたが此処にいてくれたら


そんなふうに、たくさん泣いたけれど、
楽しかった時間も、笑った時間も、たくさんありました。


あの頃、12歳だったあの子も、
今は、立派に大人になり、夢を叶え、自分の居場所を見つけました。


時々、顔を出してくれるあの子は、いつでも幸せそうで、
あの子の笑顔を見る度に、私まで、幸せな気持ちになります。
あの子が幸せで、本当に良かった。


先日、あの子は、おじいちゃんになりました。
私たちの孫に、子供が生まれたのよ。


先日の私は、あの子に連れられて、ひ孫に逢いに行ってきました。
ひ孫はね、小さくて、温かくて、とても可愛かった。


握り締めたこの小さな手には、
きっと、たくさんの幸せが詰まっているの
赤ちゃんは、みんな、両手に、
たくさんの幸せを握り締めて生まれてくるんだと思うよって、
私がこんな話をしたらね、あの子は言ったの。


そっか。だから俺も、今、とても幸せなんだって。


孫を抱いて、幸せそうに笑ったあの子のことを、
あなたも、何処かで見ていてくれたでしょうか。


あの子が孫を抱く姿を見たら、
きっと、一度も振り返ることなく、
あなたの元へ逝くことが出来ると、
そんな手紙を書いたのは、いつのことだったでしょうか。


あの頃の私が、思い描いていた未来が、今、此処にあります。


これは、この人生での、私の最後の夢でした。
あの頃、思い描いていた夢が、叶ったのよ。
ねぇ、あなた。凄いでしょ?


今、私は、とても幸せです。
きっともう、これ以上の幸せなど、何処を探しても、ないのでしょう。


この人生を生きて良かった


今、私は、心からそう思いながら、

この人生を振り返っています。


ねぇ、あなた。
たくさん、待たせてしまって、ごめんなさい。


私は、もう、準備は、出来ています。
お迎えはいつになりますか。


なんて、こんなことを言ったら、

あなたに叱られてしまうのでしょうか。


あなたに、とても逢いたいです。