拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。

3月32日 ~翼を休める場所~

四苦八苦しながら、引っ越しを終えたばかりの頃の私は、よく眠っていた記憶がある。

それまでの2年5ヶ月分の疲れを取るかのように、本当によく寝ていた。

休日などは、一通りの家事を終えると、いつの間にか眠っていたこともあった。

そうして、存分に眠った私は、何をするわけでもなく、窓からボーッと空を見上げたりもした。

 

どれだけ、ぐうたらなのかと嫌気が差したこともあったけれど、今思えば、あれは、あの時の私にとって、必要な時間だった。

それまでの疲れを癒し、しっかりと前を向くための休息の時間だったのだと、今は思う。

 

私は密かに、この場所を『翼を休める場所』と名付けた。

ゆっくりと休む時間をくれたこの場所は、きっと彼が、連れて来てくれたのだろうと、いつの頃からか、漠然と考えるようになっていた。

 

4階建ての建物の2階が我が家。

少し不便なところもあるが、この場所のいいところは、空がよく見えるところだ。

窓から虹が見えた日は、なんだか得した気分で、虹が消えるまで、ずっと眺めていたんた。

あの虹を渡ることが出来たら、彼に逢いに行けるのだろうか。

あの日の私は、ただ、彼のことだけを考えていた。

 

ただ、彼を想う時間━━━。

此処では、私にとっての、そんなかけがえのない時間を作れるようになった。

 

いつの間にか、得体の知れない何かに追われることもなくなり、あの頃の分を取り戻すかのように、人より、ゆっくりの時間が流れるようになった気がした。

そうして、此処へ越して来てから少しづつ、元気を取り戻し、自分から前を向けるようになった。

 

当時、中学1年生だったあの子は、もうすぐ、高校3年になろうとしている。

あの子が高校生になり、大きく変わったことは沢山あるけれど、私の中で、特に、変わったこと━━━大変なことは、毎日のお弁当作りだ。

 

私は、料理が苦手だ。

それでも、極力、冷凍食品を使わずにお弁当を仕上げることを目標としてきた私は、今では、冷凍食品に頼らなくても、お弁当を作れるまでになった。

料理が苦手な私にとって、これは、大きな進歩だった。

 

思えば、彼が亡くなってから、私は、少しずつ、料理の腕を上げたように思う。

彼が側にいてくれた頃は、市販のソースに頼っていたナポリタンは、自分で味付けをすることが出来るようになった。これは、あの子の大好物だ。

 

料理をしながら、時々、思い出す彼への後悔。

彼と過ごした最後の春━━━。唐突に、豚汁が食べたいと言い出した彼。

あの春、豚汁を作ろうと、買い物へ出掛けたけれど、材料が揃わずに、冬になったら、豚汁を作る約束をしたんだった。

そして、彼と過ごした最後の誕生日には、杏仁豆腐をリクエストされた。

お菓子作りは好きだけれど、杏仁豆腐は、これまでに一度も作ったことがなかった私は、練習する時間を見つけることが出来ずに、

市販の杏仁豆腐を準備したんだった。

あの年、がっかり顔をした彼に、

次の誕生日には、手作りの杏仁豆腐を作る約束をしたんだ。

 

それが彼と過ごした最後になるだなんて思わずに、私は、軽々しく来年の約束をしてしまった。

 

材料が揃わなくても、あるものだけで、豚汁を作れば良かったのだ。

杏仁豆腐だって、どうにか工夫すれば、練習する時間が取れたのではないか━━━。

 

私は、時々、後悔の念に苛まれる。

『ごめんね。』

遺影に謝る私を見つめる彼は、いつでも穏やかな笑顔をこちらに向けてくれる。

それでも、私の後悔は、ひとつも消えることはない。