拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。

私が最後にしてあげられること

あなたへ

 

せめて、あの子が社会に出るまでは

 

これは、あなたを見送ってからの私が、

一番初めに立てた目標でした。

 

あの子が、ひとりで生きていけるようになるまでは、

なんとか、私も生きなければならない と。

 

あれからの私は、

 

出来れば、あの子が結婚するまでは

 

もしも、あの子が子供に恵まれるのならば、

孫に一目だけ会うことが出来れば

 

おばあちゃんって呼ばれる感じって、

どんな幸せな気持ちがするのだろう

 

孫の運動会を観に行くというのは、

どんな気持ちなのだろうかと、

希望とする年齢は、少しずつ上がり続け、

今の私は、

老衰っていいよね だなんて、

そんなことを、ふと、考えてしまったりもします。

 

私は、欲張りでしょうか。

 

思えば、

あなたを見送ったばかりの、

あの頃の私は、

漠然と、あなたの年齢を超えることは、

きっと出来ないのだろうと考えていました。

 

だって、あなたが此処にいないから。

 

それでも、社会へ出る前のあの子を置いて逝くことは出来ないと、

自分を奮い立たせ、

なんとか、あの子が社会に出るまではと、

目標を立てたのでした。

 

ただ、家族3人で過ごしていたかった。

 

例え、それが生を意味しないことであっても、

あなたの側にいることが出来れば、

どんな形でも構わないとさえ思っていたあの頃の私が、

少しずつ、

生きなければならないと考えるようになったのは、

あの子の成長や、言葉があったからなのだと思います。

 

あなたを見送ってからのあの子は、

いつの頃からか、時々、

遠い未来の話をするようになりました。

 

あの子が社会人になってからの話

 

あの子が結婚してからの話

 

孫の顔、見たいでしょ?

長生きしてねって。

 

あの子が聞かせてくれる未来の話は、先へ先へと進み、

ついには、

曾孫に会ってみたいでしょ?なんて、

そんなことを言われたのは、先日のことでした。

 

そんなあの子の言葉たちは、

遠い遠い、先の未来を、私に想像させるのです。

 

そこに思い描くのは、

とても温かで、幸せで、ゆっくりとした時間。

 

最期の時は、誰も選ぶことが出来ないからこそ、

理想だけは、高く持ってみようなどと考えたのは、

出来るだけ、あの子が前向きでいられるような、

お別れの仕方を探していたからなのかも知れません。

 

いつか、この身体の寿命が来て、

もしも、ただ、眠るように、この世を去ることが出来たのなら、

そして、

今のあの子が思い描くように、

私が、孫や曾孫たちと、同じ時間を過ごすことが出来たのなら、

あの子が向き合う、私との別れは、

深い悲しみではなく、

前向きなものと捉え、向き合ってくれるのではないかと。

 

あの子が、大人になれば、

少しずつ、自分で生きる知恵を身に付け、

もう、私の助けなど、必要なくなっていくのでしょう。

 

私が、最後に、あの子にしてあげられることは、

あの子の健やかな毎日を、遠くから願いながら、

ただ、元気に、長生きをすることなのかも知れませんね。

 

時々、帰って来るあの子に、

笑顔で、おかえりと言ってあげるために、

生きていたいと、

今の私は、そんなふうに考えるようになりました。

 

皺々になった、おばあちゃんの私が、

あなたと再会する日のことを想像してみました。

 

私の瞳の奥には、

ただ、笑顔で、

こちらに手を差し出してくれる、あなたの姿が思い浮かびました。

 

私は、きっと、なんの言葉も出ないままに、その手を握りしめて、

もう、思い残すことなど何もないと、

一度も振り返ることなく、

あなたと一緒に、

そちら側へ旅立つことが出来るのでしょう。

 

全部、見届けてきたよ

あの子なら、大丈夫だよ と。

 

なんだか、涙が溢れてしまうけれど、

あの子が、世界で一番、愛する人をみつけて、

お父さんになって、

おじいちゃんになる日を見届けるまで、

待っていてくれますか。