拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。

KANATA 29

梅雨明けが待ち遠しい。
今年もまた、彼と出会った夏が来る。


今年は、忘れられない特別な夏にするの。
だって、彼と一緒に過ごす夏だから。


私は今、とある秘密計画を遂行するために、
日々、粛々と準備を進めている。


「やっぱり、これにして正解でしょう?」


「ちょっと、派手じゃないかしら。」


「そんなことないわ。とても似合ってるわよ。ほら、よく見て?」


鏡越しに柔らかく微笑むのは、
着付けの資格を持つ友人だ。


お願いしていた浴衣が仕上がった。


これまで、和装に縁遠かった私は、
彼女に、浴衣の柄選びからを一緒に手伝って貰った。


「花火大会に、なにか、素敵な予定があるのね。」


そう言って静かに微笑んだ彼女は、いつも、余計なことは聞かない。
彼女のそういうところが、とても好きだ。


花火大会の当日は、髪のセットも、着付けも、
彼女にやってもらえることになった。


若い頃、美容師として活躍していた彼女は、
「その浴衣に似合う髪型を研究しておくわね。楽しみにしていてね。」
そう言って、笑顔で帰って行った。

 


彼と初めて出逢ったのは、
この辺りで行われる花火大会を過ぎてからのことだった。


「一緒に、花火大会に行けなくて、ごめんね。」


電話越しに、すまなそうな彼の声が聞こえたのは、
彼と出逢ってから、2番目の夏。


あれは、会社の廊下で、こっそりと掛けてくれた電話だった。


「花火の音を聞きながら、仕事をしてたよ。」


あの日の彼は、そんなふうに笑っていたっけ。


あの年の彼は、一緒に花火大会に行けなかったからと、
私のために、小さな花火大会を開いてくれた。


「こんな花火でごめんね。」


あの時、彼は、そんなふうに言っていたけれど、
私は、とても嬉しかった。


彼と一緒に、花火大会に出掛けるのも、
きっと素敵な時間だったと思うけれど、
あの小さな花火大会も、とても素敵な時間だった。


彼と過ごした2番目の夏に見たあの小さな花火大会は、
私にとって、忘れられない素敵な思い出だ。


彼と一緒に、毎年、花火大会に出掛けるようになったのは、
私たちが結婚し、あの子が生まれてからのことだった。


あの子が生まれ、暫くが経った頃に、
それまでよりも、少しだけ、
時間が自由になる会社へと、転職したからだった。


最後に、家族3人で、花火大会へ出掛けたのは、
あの子が、小学6年生の時。


「家族3人で、この花火大会を観るのは、きっと、これが最後だね。」


あの年に、そんな話をしたことを、よく覚えている。


来年からのあの子は、きっと、友達と花火大会へ来るのだろう。
中学生になり、少しずつ、親離れを始めるのであろうあの子の姿を、
上手く想像出来ないままに、
私たちは、そんなふうに、話し合っていた。


あの日の私が思い描いていた未来には、
花火を観る私の隣に、彼の笑顔があるはずだった。


向日葵の柄の浴衣を着て、慣れない下駄で歩く私の手には、
彼の温もりがあるはずだったのだ。


今年からは、2人だね。


そんなふうに、あの子の成長を、彼と一緒に喜び、そして、
どこか少し、寂しさを感じながらも、
彼と2人で過ごすのであろう時間を楽しみにしていたのだ。


それなのに、あれから1年後、
彼は、目を閉じたまま、
その温もりを、私に与えただけで、
もう、彼の瞳に、私が映ることはなかった。


向日葵の柄の浴衣を着て、
彼と一緒に、花火を観ることが、あの頃の私の夢だった。


「あの頃の私の夢が、叶うだなんてね。
長生きは、してみるものね。」


家に帰って、早々に、浴衣を羽織り、鏡を覗き込んでみる。


あの頃よりも、随分と、年を重ねてしまった私には、
向日葵の柄は派手かも知れないと、

最後まで、自信を持てずにいたけれど、

どこか大人の雰囲気を漂わせた、落ち着いた向日葵の柄を選んでくれた友人が、

力強く、私の背中を押してくれた。


「彼女に選んでもらって、良かったわ。」


花火大会の日が待ち遠しい。
初めて見せる浴衣姿に、彼はどんな顔をするのだろう。