拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。

その唇を読み取ることが出来ないままに

あなたへ

 

あれは、あなたが目を覚まさなくなってから、

どのくらいが経った頃だったでしょうか。

 

ICUの中。

辛かった頃の記憶が、不意に、鮮明に蘇りました。

 

辛くて、悲しくて、

目の前の現実を、どう受け止めたら良いのかも分からずに、

ただ、その手を握ることしか出来ずにいたあの頃。

 

目を閉じたあなたの手を強く握り締めて、

泣きながら掛け続けた私の声を、あなたは覚えていますか。

 

あの時のあなたはね、唇を動かしたの。

 

それは、私の声に答えてくれたかのように見えた、

たった一度だけの出来事。

 

人工呼吸器を入れられたあなたの唇が、どんなふうに動いたのか、

読み取ることが出来ないままに、

それでも、あなたが、何かを話していることだけは、

はっきりと分かったよ。

 

何故なのでしょうか。

 

あの頃の私が見ていたものは、不意に何度も蘇り、

これまで、何度も涙を流して来たはずなのに、

あの頃、たった一度だけ、

あなたが唇を動かしたことを思い出すことがないままに、

私は、これまでの日々を過ごして来ました。

 

あの出来事があった時、

あなたが何を言っていたのか、分からないままに、

私は、こっそりと、決めていたことがありました。

 

いつか、あなたが目を覚ましたら、

あの時、なんて言っていたのか、聞いてみようって。

 

あの頃の私は、毎日、泣きながら、

それでも、信じていたよ。

 

あなたは、きっとまた、元気になって、

笑ってくれる日が来るんだって。

 

その手を握り締める私の手を、

握り返してくれる日が、きっと、来るんだって。

 

だから、

 

眠っている間に、どんな夢を見ていたの?

 

とか、

 

私の声、聞こえた?

 

とか、

あなたに聞いてみたいことを、たくさん準備していました。

 

今日は、脳の検査をしました

脳は正常に動いていますよ

 

あの頃の私にとって、先生のこの言葉は、

ただひとつの救いでした。

 

あなたの脳は、正常。

だから、あなたは、きっと大丈夫 って。

 

あなたと過ごす未来を夢見て、

ずっと、信じて待っていたけれど、

私が思い描いた未来は訪れないままに、

あなたは、もう、目を覚ますことはありませんでした。

 

私は、あの日、無意識に、

あの、たった一度だけの出来事の記憶に蓋をして、

封印してしまったのでしょうか。

 

思い描いた未来を、

大切に、胸の奥の奥へと、閉じ込めるように。

 

何故だか、突然、鮮明に蘇った、

あの日のあなたの唇が動いた、たった一度の出来事。

 

その瞳が開くことはなかったけれど、

あなたは、此処に生きて、

私に、その手の温もりをくれたね。

 

あの時、あなたが、なんて答えてくれたのか、

もう、聞くことは出来ないけれど、

それでも、きっと、あの頃の私の声は、

あなたの耳に、ちゃんと届いていたんだね。