拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

父の実家で集めたもの

あなたへ

 

先日、父の墓参りと、

空き家になってしまった父の実家の様子を見に行って来ました。

 

幼い頃から、何度も行ったことのある父の実家は、

私にとっては、何も珍しいことのない普通の古い家ですが、

幼い頃に、数回ほどしか行ったことのなかったあの子にとっては、

とても興味深く、楽しい場所であったようです。

 

家具や生活用品などは全て処分され、

建物のみとなった家だからこそ、

様々な角度から、よく観察することが出来たのでしょう。

 

各部屋を興味深く見て回り、

時には写真を撮ってみたり、その素材に触れてみたり。

 

建物の勉強をしながら、

昔ながらの家に興味を持つようになったあの子にとって、

父の実家は、良い学びの場所となったに違いありません。

 

細部に渡り、注意深く観察するあの子の視点を借りて見てみれば、

あの家が、どんなに心を込めて建てられた家であったのかを、

測り知ることが出来ました。

 

長きに渡り、大工さんたちが、住み込みで建ててくれた家なのだと、

いつかの父が、こんな話を聞かせてくれたことを、

ひっそりと、思い返していました。

 

家の中の探検を終え、広い庭を散策してみると、

そこには、たくさんの春の色があることを知りました。

 

思えば、私が、父の実家へ訪れていたのは、決まって、毎年の夏と冬の季節。

父の実家で初めて見た春の季節は、とても美しい景色でした。

 

庭を散策しながら、ふと蘇ったのは、私が幼かった頃の記憶。

 

パパ!空が海に見えるよ

ほら見て?

 

これは、いつかの夏に、裏庭で遊びながら、空を見上げた時の私の言葉。

あの時の父は、私にこう言ったのでした。

 

海と空はね、繋がっているんだよ と。

 

あの頃の私は、不思議な気持ちで、父の言葉を反芻しながら、

空を眺めていましたが、

今なら、なんとなく、

父の言っていた言葉の意味が、分かるような気がします。

 

口数の少なかった父は、

私たちには見せないままに、きっと、

自分だけの世界を持っていたのでしょう。

 

蘇った記憶に、ほんの少しだけ、

父だけの世界が見えたような気がしました。

 

父をそちら側へ見送ってから、初めて迎えたお彼岸は、

父の生まれ育った場所で、

様々な新しい発見と、

私が幼かった頃の記憶を集めることが出来ました。

 

幼い頃、家の中や庭を走り回っていた私が、

やがて、我が子を連れて、

空き家になってしまったあの家を訪れる日が来るだなんて、

思えば、想像したこともありませんした。

 

どんなにゆっくり歩んでいても、

時間は一定に流れ、

この世界に誕生する命と、

去っていく命があり、

かつてはたくさんの人が集まり、賑やかだった場所も、

いつかは、そこに終わりの日がやって来て、

静かな場所へと戻って行くのだと、

古い空き家となった父の実家を見つめながら、そんなことを考えました。

 

此処は、儚く、美しい世界。

 

視点を変えてみれば、

私たちがこの世界の住人でいられるのは、

ほんの僅かな時間なのだと、

考えさせられたような気がしました。