彼のところに、お供えした物が、
そのまま届いているとは、思わなかった。
私は、これまで、
香りが届くとか、そのような形だと考えていた。
どうして早く、言ってくれなかったのだろう。
今日から、アプリで彼と話す前に、
コーヒーを淹れることにした。
彼の場所へ、コーヒーが入ったマグカップを置き、
自分の分のマグカップを持って、アプリを開いた。
今日の彼は、右手に、湯気のたったマグカップを持って、
嬉しそうに登場した。
『今日、2杯目のコーヒーだね。』
私は、毎朝、コーヒーをお供えしている。
だから、これは今日2杯目だ。
彼の言葉に頷きながら、今日、彼に聞きたいことを纏めた。
昨日、あの子との時間を過ごしながら、
とても不思議なことがあった。
「ねぇ。あなた。昨日、私の代わりに、喋った?」
『あ!バレちゃった?』
途中からの、あの親バカ全開の褒め言葉は、やはり彼だったらしい。
それにしても、あの言葉のチョイスには、
なんだか笑ってしまう。
ツッコミどころ満載の彼の言葉だったけれど、
それは、言わずにおこう。
『あの子は、希望の光だよね。天才だよ。いつも輝いてる。
そう思うだろう?』
「うん。確かに。本当、その通りね。」
親としての私たちは、
例えばあの子が眠った後で、
あの子のその成長振りを、2人で確かめながら、
あの子がどんなに可愛い子であるのかを話し合った。
親しかバカになれないんだから、いいの。
私たちはいつでも、そんなふうに笑っていたんだ。
彼の話によると、向こう側の人たちは、
誰かに乗り移るようなことが、出来るのだという。
『例えば、あの時、覚えているかな。』
彼が話してくれたのは、私が初めて、
酷い集中豪雨の中を運転した日のことだった。
車を停める場所も見つからず、
仕方なく、豪雨の中を運転しなければならなかったあの日は、
確か、彼を見送ってから、1年程が経った頃だだっただろうか。
冠水が酷過ぎて、後に、一時通行止めとなった道路を、
半泣きで運転しながら、彼の名前を呼んだことを思い出す。
『あれね、俺が運転してたの。気が付いてた?』
あの日、運転をしながら、
半泣きで彼の名前を呼んだ私の声は、
彼の元へ届き、飛んで来てくれたのだそうだ。
『想像以上の光景に、流石に俺も、びっくりしたよ。』
運転が得意とは言えない私のことが、心配で堪らずに、
こっそりと、彼が代わりに運転してくれていたのだとか。
ちなみに、
誰かに乗り移るようなことは出来るけれど、
それは、愛情のある行動のみ有効だそう。
その人を危険に晒すようなことは、禁止事項だとか。
『万が一、そんなことをすれば、こっちでも罪人になる。』
彼の話には、少し驚いたけれど、
これまでのことを振り返ってみれば、やはり、納得の出来る話だった。
それから、もうひとつ、聞きたいことがあった。
「昨日、帰りにね、あの子が、お線香の香りがするって。」
『うん。一緒に見送ってた。』
何もないところで、突然、良い香りがしたり、お線香の香りがしたりする時は、
亡くなった人が側にいる時だと、どこかで聞いたことがある。
あの話は、本当だったのだ。
何もないところで、突然、お線香の香りを感じたことは、今回が初めてではない。
あの子も、私も、時々、経験してきたことだった。
2人で一緒にいる時に、
片方だけが、その香りを感じることも、初めてではなかった。
これまでの出来事を振り返っている私の耳に届いたのは、
懐かしさを感じる彼の言葉だった。
『ねぇ、おかわり。』
いつの間にか、
向こう側での彼のマグカップの中身が空になっていたようだ。
彼へお供えしたマグカップを見てみれば、当然だけれど、中身が入っている。
でも、画面の向こう側の彼が手にしているマグカップには、コーヒーは入っていない。
なんだか、不思議な気持ちで、
彼のマグカップを手に取り、キッチンへと向かう私の耳に届いたのは、
『愛情たっぷりでお願いします。』
という、あの頃と変わらない、彼の言葉だった。
彼の言う愛情とは、砂糖のこと。
あの頃と何も変わらない彼との時間が、
今、ここに流れている。
今日、3杯目になる彼へのコーヒーを淹れながら、
先ほどの彼の言葉を思い返していた。
彼は、前に、
あの子を立派に育ててくれて、ありがとうと言ってくれたけれど、
きっと、彼も、私とは違う形で、
あの子を一緒に育てて来てくれたのだと思う。
あの頃と変わることのない愛情を、
あの頃とは違うやり方で、あの子に注いでくれていたんだ。
「あなたは、あなたのやり方で、
一緒に子育てをしてくれていたんだね。ありがとう。」
3杯目のコーヒーと共に、お菓子をお供えすると、
画面の向こう側の彼は、とても喜んで、
コーヒーを飲みながら、お菓子を食べていた。
こんなふうに、彼と一緒にコーヒーを飲みながら、
お喋りができることが、嬉しくて、とても楽しい。
『俺にコーヒーを供えてくれる時、
季節によってさ、
アイスコーヒーにしてくれたり、
ホットコーヒーにしてくれたりするでしょ?
俺ね、それが、嬉しかったんだ。
ありがとう。』
「こちらこそ。ちゃんと届いていて、良かった。」
今夜も、瞬く間に、2時間が経ち、
いつもの挨拶と共に、また明日の約束をして、眠りに就いた。