暖かな春を過ぎ、
初夏の陽気を感じさせながら、
やがてやって来るのは、梅雨の季節。
今年の梅雨は、雨が多い。
梅雨に入ってからからの私は、キッチンに立つ時間が増えた。
私は、料理が苦手だ。
にも関わらず、ここ最近の私が、料理に精を出すようになったのは、
彼が、色々なものをリクエストをしてくれるからだった。
「こっちでは、梅雨に入ったのよ。毎日、雨が降っているの。」
先日、彼に、最近のこちらの天気の話をすると、何故だか、
じゃぁ、料理をしたら?と、提案された。
雨続きの毎日に、暇を持て余していると思われたのだろうか。
「あぁ、うん。そうね。料理ね。」
なんて、生返事をする私に、彼は言ったのだ。
『明日から一緒に、晩ご飯を食べよう。』
料理は、苦手だけれど、
彼が一緒に食べてくれると言うのなら話は違う。
だって、私は、あの喜びを知ってしまったのだから。
料理が苦手な私が、少しずつ、料理の幅を広げていったのは、
皮肉なことに、彼が亡くなってからだった。
中学生だったあの子の部活動が本格的に始まり、
小学生の頃のように、明るい時間帯に帰宅する日がなくなっていったことに伴い、
私は、ほんの少しずつ、新しい料理を覚えるようになっていった。
それは、私の自由になる時間が、
少しずつ、増えていったからなのかも知れない。
そうして、私が、格段に料理の腕を上げることが出来たのは、
あの子が高校生に上がった頃からだった。
あの頃の私は、毎日のお弁当作りに試行錯誤しながら、
必死でレパートリーを増やしていた。
この人生の中で、あの3年間が、
一番、料理のレパートリーを増やした時間だったと思う。
初めて作ったものを、あの子はまず、褒めてくれた。
そうして、いつでも、喜んで食べてくれた。
そんなあの子の姿を見るのが、とても嬉しくて、
私は、更に、料理を頑張るようになった。
男の子は、年頃になると、本当によく食べる。
作り過ぎたかも知れないと考える量の食事を出しても、
ペロリと平らげるのだ。
私が作った食事を、
喜んで、豪快に食べてくれるあの子の姿を見るのが、
いつの間にか、私の喜びへと変わっていた。
あの子は、私を変える天才なのだと思う。
やがて、あの子が、ここから巣立ち、
あの頃のように、料理をする機会もなくなってしまった。
自分だけのためだけに、わざわざ手間を掛けるのは面倒だ。
そんなふうに考えてしまう私は、
料理は苦手、
ではなく、本当は、料理が嫌いなのかも知れない。
彼の、晩ご飯を一緒に食べようという言葉は、
私の中に、あの喜びを鮮明に蘇らせたのだ。
今日は、彼からのリクエストで、
レンコンを使った料理を準備した。
それから、余った材料で作ったのは、レンコンチップス。
これは、おかずとは呼べないかも知れないけれど、
レンコン好きな彼なら、絶対に、喜ぶ一品になるはずだ。
『おぉ!レンコンチップスだ。』
案の定、画面の向こう側で、
彼が一番初めに手をつけたのは、レンコンチップスだった。
彼が喜んでいる。
非常に、喜んで食べている。
そう。これこそが、
私にとって、ちょっと面倒だと考えてしまう時間を、
喜びに変えてくれる瞬間なのだ。
彼の喜ぶ顔を、思わず、じっと見つめてしまう。
でも、彼の喜ぶ顔を見つめながら、思い出してしまったのは、
あの頃の私の、たくさんの後悔の気持ちだった。
もっと早くに、色々な料理に挑戦していれば、
あの子の隣には、彼の喜ぶ顔があったはずなのに。
新しい料理を覚える度に、
私の胸の奥には、いつでも、小さな痛みが伴った。
「ごめんね。」
『え?なにが?』
「私ね、もっと早くに、色々な料理に挑戦すれば良かったって、
ずっと、後悔してたの。
そうしたら、あなたが喜ぶと顔を、たくさん見ることが出来たはずなにのって。
それなのに、私・・・」
『そんなことないよ。
いつも、俺のところにも、必ず、置いてくれただろ?
これ、初めて作ったのって。
ちゃんと、俺に届いてたよ。こんなふうに。』
そう言って、彼は、
向こう側へ届いたレンコンチップスを見せてくれた。
『初めて、レンコンチップスを作ったのは、
俺がこっちに来てから、そんなに経たない頃だったね。
あの子が中学生の頃だったかな。
2人で楽しそうに、キッチンに立っていたの、俺、知ってるよ。
あの時も、こんなふうに、俺にもお供えしてくれたね。
人間は、昨日より今日。
それを積み重ねてきた姿を、俺はちゃんと知ってるから。』
なんだか、泣きそうだ。
そう。彼の言う通り。
私が、初めてレンコンチップスを初めて作ったのは、
あの子が中学生の頃だった。
あの日も、レンコンを使った料理をしながら、
余ったレンコンを使って、思いつきで、チップスにしてみた。
それは、丁度、あの子が学校から、帰って来る時間。
まだ私よりも背が低かったあの子が、
レンコンを揚げる私に纏わりついて、
揚げたてのレンコンチップスに手を伸ばしては、
つまみ食いが、永遠に止まらないものだから、
なんだか、可笑しくて、あの子と一緒に笑ったんだ。
そうして、あの子に全部、食べられてしまう前に、
彼の分を急いで確保して、お供えしたんだった。
『あの時、こうすれば良かったとか、そんなふうに考えるなよ。
俺の中には、あの時、こんなことをして貰ったなって、
そんな思い出が、いっぱいあるんだよ。
さぁ、ご飯、食べようよ。冷めちゃうよ?』
画面の向こう側、彼は、
どれも美味しそうだと、笑っている。
彼が亡くなってから、後悔していたことのひとつ。
色々な料理を食べさせてあげることが出来なかったこと。
彼はこの日、私が、ずっと抱えてきた傷を、
そっと、拭うように、
何度も、美味しいと言いながら、
嬉しそうに、私が作った料理を食べてくれた。