拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

彼女 9

彼女は、とても不思議だ。

突然に私の前に現れたと思えば、私が見ている景色をどんどん変えてくれた。

彼女には、本当に感謝している。

「あなたのことが大好きよ。あなたと出会えて良かった。」

私のこんな言葉に、彼女が嬉しそうに笑ってくれたのは、いつのことだっただろう。

 

今日もこの場所で、彼女との時間を楽しんでいる。

今日の彼女は、子供の頃、風になりたかったのだという話を聞かせてくれた。

 

「私ね、色を運ぶ風になりたかったの。」

 

彼女が言うには、人がいる場所は、様々な色がついているのだそうだ。

楽しそうにしている人がいる場所には、華やかで明るい色が、

悲しんでいる人がいる場所には、重く暗い色が見えるのだと。

彼女は、悲しさや苦しさの色の中にいる人の元に、

ピンクや黄色の明るい色を運ぶ風になりたかったのだそうだ。

 

「もしもそこに、新しい色を運ぶことが出来たらね、

きっとそこには、新しい色が生まれるのよ。

悲しみの色は消せなくても、そこに光が届いたらいいなって思うの。」

 

小さな頃は、誰にも見つからないように、こっそりと、

風になるための修行をしていたそうだ。

風のように早く走る練習や、

大きく息を吸い込んでは吐き出して、大きな風を起こす練習をしていたのだと、

こんな彼女の思い出話に笑ったけれど、

でも、彼女は、きっと、その夢を叶えたのだと思う。

彼女は、私が見ている景色を変えてくれたのだから。

 

一頻り笑った後で、暫くの間、2人で、黙って空を見上げた。

 

幾分、風に冷たさを感じるようになってきた。

秋も深まり、木々たちも様々にその衣装替えを始めている。

この時期の景色は、見ていて飽きることがない。

 

「あっ!ねぇ、見て?あの雲、鳥の羽に見えない?」

 

青空にふわりと浮かぶ、とても大きな鳥の羽に似た雲を見つけた私は、

思わず指差した。

いつもなら、本当ね、とか、綺麗ね、とか、こんな言葉を返してくれる彼女だけれど、

今日は、いつもの返事は聞こえなかった。

 

「ねぇ、あなたは、どうしてその夢、早く叶えないの?」

 

私の声は、彼女には届いていなかったのだろうか。

唐突な言葉に驚いて、彼女へと視線を移すと、

彼女は、とても真剣な眼差しで、何か考えごとをしているように見えた。

確かに、さっきまでは、いつも通りだったはずなのに、

この変わりようは、何だったのだろう。

 

「えっと・・・その夢って?」

 

「あなたは、本当は、何かやりたいことがあるんじゃないの?違ったかしら。」

 

やりたいこと。

確かにあるけれど、私は彼女にそんな話をした覚えはなかった。

 

「えっと・・・私、そんな話したことあったかな。」

 

「するわけないじゃない。

あなたが夢を持っていることを知っているのは、

この世界に、もうひとりしかいないでしょう?

それは私じゃないわ。そんなの、あなたが一番分かっているでしょう?」

 

「じゃあ、どうして・・・」

 

彼女は、じっと私の顔を見つめている。

 

「どうして、私があなたの夢を知っているかだなんて、

そんなことが大きな問題だと思っているの?

それより大きな問題は、

どうしてあなたが、その夢を叶えようとしていないのかってことよ。」

 

珍しく、感情的な彼女に驚いてしまった。

何故、怒っているのかは分からないけれど、彼女は、私に怒っているのだろう。

 

「え?あぁ・・・まぁ・・・やりたいことは、あるけど、

それは、私にとってのとても大きな夢なの。

叶えようとしていないわけじゃない。今はまだ、努力の段階なのよ。」

 

彼女は、じっとこちらを見つめる。

 

「本当に?・・・本当にそうかしら。

あなたは、その夢を叶えたいという願望を持ってるだけで、

夢を叶えて自分を幸せにすることを避けているのよ。

ねぇ、あなたは、大切な人がこの世にいないのに、

自分だけが幸せになってはいけないって、そんなふうに考えているんじゃない?

もしもそうだとしたのなら、勘違いも甚だしわよ。

あなたの大切な人は、絶対に、そんなこと望んでいないわ。」

 

一体何なのだ。

私は、時間を掛けて、自分なりの前を見つけて歩んで来たつもりだ。

ここまで来るのだって必死だった。

それなのに、何も知らないくせに、

何故、彼女にこんなことを言われなければならないのだ。

 

「私は、ちゃんと努力してるわよ!何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!」

 

「そんなの嘘よ!だって、あなたは、何も変わっていないじゃないの!

その目を見れば分かるのよ。何ひとつ変わってない!

あなたは、本当は、その夢の叶え方だって分かっているはずよ。

それなのにあなたは、わざとその夢を叶えようとしないのよ。

いい?あなたはね、

目標とする場所が、山の頂上にあることを知っているのに、

わざとその山に登ろうとしていないの。

山の麓をグルグルと回っているだけだわ。

本当は、その山の登り方だって知っているのよ。

ねぇ、どうして?

どうしてあなたは、幸せを望みながら、それを現実にしないの?」

 

「そんなこと・・・」

 

そんなことないわよ。

そう言うつもりだったのに、私は、気付いてしまったのだ。

 

幸せになってはいけない。

どんなに笑っていても、心から楽しんではいけない。

 

彼女の言葉ひとつひとつは、

私の中にある無意識の声を鮮明に目覚めさせたのだ。

 

私は、彼の分まで生きることを目標としながらも、

無意識に、幸せになることを避けていたのかも知れない。

 

初めて聞いた自分の声に驚き、否定した。

そんなわけはない。認めないと。

 

それなのに、どんなに否定してみても、目覚めてしまったその声は、

私の中に煩く響き渡るのだ。

 

思わず耳を塞ごうとすれば、彼女は、更に、言葉を続けた。

 

「あなたには・・・あなたには、幸せになる義務があるのに、

あなたは、何も分かってないのよ!

自分自身を大切にしないことは、あなたの大切な人を大切にしないことと同じなのよ!

それなのに、あなたは、酷い!これじゃ、何もかもが無意味よ!

あなたが幸せになろうとしなければ、

私が此処にいる意味も、これまでの時間も、何もかも無意味よ。」

 

そう言って、彼女は、大粒の涙を流した。

こんな彼女を見たのは、初めてのことだった。

いつも明るく、太陽みたいに笑う彼女を、こんなふうにしてしまったのは、私だ。

 

「ごめんね・・・」

漸く絞り出た声は、驚くほどに、とても小さな声だった。