拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

目に見えないもの

あなたへ

 

あなたを見送ってからの私にとっての時間は、

あなたの本当の居場所を知るために、

目には見えないあなたの姿を懸命に、

追いかけてきたような時間でもあったように感じています。

 

何処を探してみても、

この瞳に明確に映ることのなくなったあなたの姿を必死に探す私に、

此処にいるよとでも伝えてくれているかのような不思議な出来事を集めては、

あなたはきっと、何処かにいるのだとその証拠を集め続けて来ました。

 

目には見えないそちら側の存在についての考え方は、人それぞれ。

 

人は亡くなっても、私たちのすぐ側にいてくれるのだと、

こんな考え方の方もいれば、

この世界に生きている間だけがその存在であり、

此処からいなくなれば、その存在自体が消えてしまう。

人は死んだら無になるのだと、こんな考え方を持つ方もいます。

 

人の死後に対する捉え方は様々で、

明確な答えに辿り着くことのないままに、

これまでの道のりを歩んで来ましたが、

この世界にも、明確な形を捉えることの出来ないものがあることに、

ふと、気が付いたのです。

 

それは、人の心。

心が何処にあるかなど、誰も明確に捉えることが出来ないままに、

私たちは初めから、目には映らないものを信じていたことに気が付きました。

 

愛してるという言葉を耳で感じることや、

その気持ちを示す態度を視覚で捉えること。

 

目には映らないままに、突然、ふわりと温かさに包まれるような感覚や、

そっと涙を拭ってくれたような感覚。

 

実は、それらは全く同じ類のものなのではないかと、

こんな視点に気が付いたのです。

 

私たちは、目には見えないものを信じて生きながら、

目には見えないものを否定しているという矛盾に気が付かないままに、

この世界を知っているように錯覚していただけなのかも知れません。

 

人の心を肯定することは、

今のあなたの存在を、

肯定することと全く同じことなのだと言えるのではないのでしょうか。

 

こんな視点で見てみれば、私は、明確な証拠なんてなくたって、

初めから信じていたのだと思いました。

あなたの存在までもが、

消えてなくなってしまったわけではないことを。