あなたへ
あの味を再び感じたのは、
8回目のあなたの命日を迎えた日のことでした。
あなたを想いながら、
泣いて、
泣いて、
どんなに涙を零しても、
続く大粒の涙が頬を伝う感覚だけをただ感じて、
空を見上げていたあの日。
たくさん泣いて、ほんの少しだけ落ち着いてから、
甘い飲み物を飲むと、あの時と同じ味がしました。
あの時の味。
それは、
意識のないあなたの側に寄り添っていたあの夏の私が、
初めて知った味でした。
温かなあなたの手を握り締めて、
ただ泣くことしか出来なかったあの夏の私に、
甘いものを飲みなさいと、
あなたの家族が、飲み物を手渡してくれたことは何度あっただろう。
涙を流したまま飲んだあの時の甘い飲み物は、
なんとも表現し難い悲しい味がしました。
あなたの8回目の命日に、あの味を再び感じながら、
また泣いて、
涙を拭うこともせずに、
ただ、大粒の涙が落ちる音だけを聞いていました。
静かに優しく喉に広がる甘さが、私の痛みに寄り添うかのように感じた、
あの、なんとも言えない味に、
愛しみの味、と名前をつけようと思ったのは、
あの日流した涙全てが、あなたへの愛であると、
そう気が付くことが出来たからなのかも知れません。
あなたを見送り、「愛しむ」に込められた、
たくさんの意味を知ることが出来たから、
見つけることの出来た新しい名前。
あの夏と同じように泣いていても、
私は、あの夏とは違うものを見ていて、
8年かけた成長が、
そこにはちゃんと伴っているのだと思いました。
だから、
泣き虫のままでいいと、こう宣言した私が、
泣きたい時には泣きながら、
何を見つけ、何を感じたのか、
あなたにも伝えていきたいと思います。
泣きながらでなければ、
見つからないものだって、きっとあるのよ。
そこに楽しみにも似た感情を持って歩むのも、きっと悪くない。
だって私は、
あなたが此処にいないことを悲しんでいるのではなく、
あなたが此処にいないことを愛しんでいるのだから。
あなたを想い、泣きながら見つけるものもまた、
そちら側のあなたへの、
愛の形と呼べるものであるのでしょう。