あなたへ
そっか
もう、あの子と一緒に暮らすことはないんだね
こんなふうに、ひとり呟くのは、これで何度目だろう。
既に此処から巣立った筈のあの子と離れて暮らすことが、
まるで一時的であるかのような錯覚に捉われてしまうのは、
非日常となった筈のあの子の帰省の期間が、
未だに私にとってのしっくりと来る時間だからなのかも知れません。
この部屋の広さなど、とっくに慣れたつもりでいたのに、
此処に流れていた筈の過去の瞬間に、
思わず手を伸ばしてみたくなる衝動に駆られるのは、
あの子が此処から巣立ってから、これで何度目だろう。
静まり返った部屋の中で、
かつては此処にあった筈のあの子との日常生活を振り返れば、
自然と私の中へと蘇るのは、
初めてあの子へ向けたメッセージを綴った日の記憶です。
キミがひとりで歩めるようになる日まで、ずっと一緒だよ。
幼かったあの子が眠った後で、こんな文字を綴った日の私は、
あの子がひとりでその人生を歩む姿など、全く想像もつかなかいままに、
それでもいつの日か、あの子自らが私たちの手を離して、
ひとりでその人生を歩む日がやって来るのだと、
ずっとずっと先の遠い未来を思い描いて、
胸の奥にチクリと小さな痛みを感じたのでした。
ずっとずっと先の遠い未来。
そう思っていたのにね。
21年間。
こう文字にしてみれば、それはとても長い年月であり、
永遠にそんな遠い未来など、
やって来る日は来ないのではないかとすら錯覚してしまうけれど、
ただの一度も止まることのない時間の中を歩み続けるということは、
ずっと先だと思っていた未来もいつかは、
目の前へとやって来るものなのだと、
改めて、あれからどれだけの時間を歩んで来たのかを振り返って。
もう二度と戻れない。
だからこそ、人生とはより美しく、
いつでも輝きに満ちたものであることを感じながら、
あの子がどれだけの価値のあるものを、
この人生の中へと収めてくれたのかを、確認してみるのです。
本当はあなたと一緒に感じてみたかった気持ちを存分に感じ切ったのなら、
あの子に出逢わせてくれたあなたへ、そして、
こんな気持ちを教えてくれてあの子へ感謝をして。
そうして、今、
私はこの家にひとりであることをちゃんと見つめてみます。
今の私に流れるのは、
あの頃の私が上手く思い描くことの出来なかった、
ずっとずっと遠い先の未来。
これまでの私が歩んで来た時間と同じように、
此処に流れる時間もまた、確実に過去へとなり行く時間です。
もう二度と戻ることの出来ない今この瞬間を、どんな過去にして行こうかな。
どんなふうに輝かせて行こうかな。
しっかりと楽しんで、素敵な人生を送らなきゃねって、
寂しさを十分に感じ切ったのなら、
こんな気持ちで今を見つめてみるのです。
きっとね、あの子が巣立ってから、どれだけの時間が経とうとも、
不意に同じ言葉を呟いては、寂しさを感じてしまうのかも知れません。
その度に私はきっと、何度でも、
同じ記憶を辿りながら、やがては自分へと同じ問い掛けをするのでしょう。
不意に今を見つめ直して、
しっかりと私にとっての前を確認する。
こんな時間もまた、巣立ったあの子からの贈り物なのかも知れませんね。