拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

日常会話と非日常会話の違い

あなたへ

 

ここ最近の私は、よくあなたの夢を見ます。

 

元々は、全く違うストーリー展開だった筈なのに、

いつの間にか、私の側にあなたがいて、

いつの間にか、あなたと過ごす時間へと変わっているのです。

 

また逢いに来てくれたね

ありがとう

 

ここ最近は、こんな朝の挨拶も、とても増えましたね。

 

最近の私が見た幾つかの夢を反芻しながら、

ふと思い出していたのは、あの子の声でした。

 

昨日の夜、お父さんの夢を見たよって、

こんなあの子の声は、幾つくらい聞こえただろう。

 

それはいつでも、

日常の中の何気ない時間の中でのやり取りでした。

 

寝起きのあの子だったり、

ふと思い出して、話を聞かせてくれたり。

様々なタイミングでの、何気ない時間だったけれど、

きっとあんなふうに、

あなたの夢を見た話を聞くことが出来ていたのって、

同じ家に暮らしていたからこそだったのかも知れないと、

今日の私は、ふと、こんなことを考えていました。

 

だって、此処から巣立ったあの子からは、

あなたの夢を見た話など、

一度も聞いたことがないような気がするもの。

 

日々の中の他愛もない会話と、

前回話した時からそれまでの時間を凝縮した形での話というのは、

同じように思えていても、実は全く違うものなのなのかも知れません。

 

こうして考えてみれば、電話での会話って、

何気ない話をしているように思えても、

どこか無駄がない会話であるようにも思えます。

 

見たばかりの夢の話をするのも、

ふと思い出したことを話すのも、

今日、見つけたばかりの面白い話をするのも全部、

自分の日常の中にいる相手にだからこそであって、

あるレベルまで達する話でなければ、

非日常的に話す相手には、

話そうとすら思いつかないものなのかも知れません。

 

ここ最近の私が見た幾つかの夢を反芻していた筈だったのに、

不意に、我が子が巣立つということは、こういうことなのだと、

またひとつ、あの子と過ごす時間が、

非日常となってしまったことに、寂しさを見つけてしまったけれど、

実は私たちは、そうとは知らぬ間に、

時々には、同じ夜にあなたの夢を見ているのかも知れませんね。

あの頃と同じように。

 

もう此処に、

見たばかりの夢の話を聞かせてくれるあの子はいないけれど、

この世界には、そんなふうに密かに、

家族3人の形が描かれ続けているのかも知れません。

 

それは、今はあなただけが知ることの出来る、

この世界での家族3人の形なのかも知れませんね。

 

 

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