拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

光合成をする時間

あなたへ

 

晴れた空を見つけると、ほんの僅かにだけでも、

太陽の光を浴びたくなるようになったのは、

いつの頃からだっただろう。

 

お散歩へは出掛ける時間が取れなくとも、

ほんの僅かな隙間時間を見つけては、太陽の光を浴びて。

そんな時間を大切にするようになったのは、いつの頃からだっただろう。

 

今日のこちらは、少し風の強い日でしたが、綺麗な青空が広がりました。

今日は残念ながら、お散歩へ行く時間を取ることは出来ませんでしたが、

外に出て、太陽の光を浴びる時間を楽しみました。

 

目を閉じて、その暖かな光を感じれば、私の中へと突然に蘇ったのは、

子供の頃の自分の声でした。

 

今ね、光合成してるところなのって。

 

これは、何をしているのかと聞かれた言葉に対して答えた言葉でした。

 

子供の頃の私は、日の当たる暖かい場所で、

ただ、その光を浴びるということを、

遊びのひとつとして取り入れていた頃がありました。

 

人間である私たちは、

太陽の光を浴びても酸素を作り出すことは出来ませんが、

そんな時間を、光合成をする時間と呼び、

特に何もせずに、暖かな場所に存在するという遊びです。

 

今、思えば、なんだかとても独特な遊び方ではありましたが、

あの頃の私は、その時間をとても楽しんでいました。

 

あれからの私は、いつの間にか、

光合成をすることがなくなって、別な遊びに夢中になって。

 

やがて成長した私は、

夜行性かのように夜という時間を楽しむようになり、

太陽の光を浴びる時間が楽しかったことすら、すっかりと忘れて行きました。

 

ほんの思いつきで、私がひとりで散歩へと出掛けるようになったのは、

あなたを見送ってからのことでしたが、

あれからの私は、空を眺めることだけでなく、

いつの頃からか、太陽の光を浴びる時間も、楽しんでみるようになりました。

 

子供の頃に何が好きだったのかだなんて、そんな記憶など残ってはいなくても、

子供の頃に好きだった時間というのは、一度は自分の手の中から離れてしまっても、

いつの日か、ちゃんと自分の手の中へと、

戻って来るように出来ているものなのかも知れないと、

蘇った声を反芻しながら、こんな視点を見つけました。

 

そう。きっと、私にとってのシャボン玉も、それと同じなのよ。

 

それは、大人になるために何処かに置き去りにして来たものたちが、

ひとつひとつ、自分の手の中へと戻って来ることと、同じなのかも知れません。

 

子供だった頃の私には、光合成仲間がいて、

休み時間になれば皆で日向に並んで、光合成をする時間を楽しんでいました。

 

こうして大人になった私が再び、

光合成をする時間を楽しむようになったように、

あの頃の光合成仲間たちも、何処かで、

光合成の時間を楽しんでいるのかも知れませんね。

 

そこに、あの頃の記憶があるかどうかは分からないけれど、

いつの間にか、あの頃の私が好きだった時間が、

こうして私の手の中へと戻って来ていたように、

あの頃の仲間たちの手の中にも、それぞれに、

あの頃の自分が大切にしていたものが、

きっとひとつひとつ、集まり初めていることでしょう。

 

あれから、随分と歳を重ねた光合成仲間たちは、

元気にしているかしらね。

 

 

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