あなたへ
実は先日の私は、
あなたが息を引き取った病院へ行って来ました。
母の付き添いです。
本当は、もう二度と行きたくはない場所ではありましたが、
あの夏から、10年という月日の中で、私は、様々な覚悟を決めて、
前へと歩める私へと成長することが出来ました。
あの病院へ行けば、恐らく痛みを感じるのだろうけれど、
それは、あの夏の私が知らなかった、
穏やかな何かに包まれたものとなっているのかも知れないと、
あの日の私はこんなふうに覚悟を決めて、あの病院へと足を踏み入れたのでした。
あの日の私は、院内にあるコンビニエンスまで、
あなたと一緒に歩いた通路を歩きました。
パジャマを着たあなたの姿。
あの夏のあなたの歩幅に合わせた速度で見つめた景色。
あなたと交わした会話。
あの夏からの私の中で、繰り返し再生された映像が、
やけに鮮明に映し出されたのは、
そこにある景色が、あの夏から、何も変わっていなかったからなのかも知れません。
思っていたよりも、ずっと鮮明に蘇った記憶は、
思っていたよりも、ずっと強く、私の胸を締め付けて。
それでも、取り乱すことも、涙を流すこともなく、
そこにいる皆と同じ顔をして、院内での時間を過ごすことが出来た私はきっと、
ある種の成長を遂げることが出来たということなのでしょう。
先のことはまだ決まってはいませんが、
恐らく少なくとも、あと数回は、
あの病院へ行かなければならないのだと思います。
二度、三度と、あの病院へと足を運ぶ度に、
私の中で繰り返し再生されて来た様々なあの夏の映像は、
鮮明な色を持って、あの場所へと映し出されるのでしょう。
あの夏からの私は、時間を掛けながら、少しずつ、
自分にとっての前を見つけ、
しっかりとした足取りで歩めるようになりました。
時には、塞がり切ってはいない傷口を自らが開き、
苦痛に涙を流しながらも向き合った痛みだってありました。
そうして自分自身と向き合い続け、
漸く今の私へと成長することが出来た筈なのに、
偶然と名を名乗る必然は、
私が最も触れて欲しくない部分を知っているかのように、
私をあの病院へと連れ戻しました。
これは、何の試練なのでしょうか。
私は何度、痛みに耐えなければならないのでしょうか。
私には、目を背けたいままの場所があってはいけないのでしょうか。
思っていたよりも、ずっと強く締め付けた胸の痛みは、
何故、これ以上の痛みに耐えなければならないのかと私に訴え続けるけれど、
時間を掛けて、漸く此処まで成長することが出来たから、
この試練がやって来たという言い方をすることも出来るのかも知れません。
あの夏にいた私は、あの病院へ、
何か大切なものを置き去りにして来てしまったのかも知れません。
もしもこれが、試練だと言うのなら、
きっと、あの病院へ行くことが試練なのではなく、
今の私にだから漸く取り戻すことの出来る何かを集めに行くことがきっと、
試練なのでしょう。
もう二度と、行くことはないと思っていたあの場所で、
私は、今の私がまだ知らない新たな痛みを知ることになるのかも知れません。
それでもきっと、今の私になら乗り越えられる筈だと、
私は私の成長を信じたいと思いました。
私は、あの場所で、何を取り戻すのでしょうか。
本当は、少しだけ怖いけど、
出来れば、向き合いたくない場所だけれど、
私ね、逃げずにちゃんと向き合うから。
だから、きっと何処かで見守っていてね。
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