あなたへ
どうして?
どうして無くなっちゃったの?
私の中へと不意に蘇ったのは、幼少期の記憶でした。
そう。あれは丁度、
今の私には見えないものが見えていたあの頃の私でした。
あの日の私が、どうして無くなってしまったのだろうかと辺りを探していたのは、
つい先程まで確かに手に持っていた筈のおもちゃでした。
つい先程まで見ていた夢の中での私は、
確かにおもちゃを手に持っていた筈なのに、
目が覚めたら、それを持っていないことがとても不思議で。
落としてしまったのだろうかと周りを見渡してみても、
見つけることが出来ないままに、
私はもう一度、夢の中へとおもちゃを取りに戻ったのです。
それなのに、どうしても、そこにあるものを持って来ることが出来ずに、
夢の中のものは、この世界へと持ち帰ることが出来ないのだと、理解したのでした。
幼かった頃の記憶故に、とても断片的でありながら、
そこにある断片は、とても鮮明で。
不意に蘇った記憶を反芻してみれば、
私は、なんだかとても不思議な気持ちに包まれました。
だって、あの頃の私は、それが当たり前であるかのように、
同じ夢の中へと戻ることが出来ていたんだもの。
私にも、出来ていたんだ
思わずこう呟いてしまったのは、
幼かったあの子が当たり前にしていたことを、
私はずっと、特別なのだと思っていた筈だったのに、
幼かった頃の私もまた、
あの子と同じことをしていたのだと気付くことが出来たからでした。
もうそろそろ起きたいなって思ったら、
高いところから飛べばいいんだよ
これは、幼かった頃のあの子の声。
あの頃のあの子は、夢の中の世界と、現実世界との区別が出来ていて、
自由に行き来出来るのだと、こんな話を聞かせてくれましたっけ。
あの子は明晰夢を見ているのだと、
あの頃の私たちは、こんなふうに考えていましたが、
こうして、幼かった頃の私の記憶と、あの子の声、
そして、あなたを見送ってからの私が見た数々の夢の中を総合して考えてみれば、
例えば、今のあなたが存在するそちら側だけでなく、
実は、形が存在しない世界が数多く存在していて、
あの頃のあの子は、そして、幼かった頃の私もまた、
実は、夢の中という肉体を持たない自分という形で、
此処ではない世界へ遊びに行っていたのではないかと、
ふと、こんな考え方を見つけました。
夢の中という世界は、とても不思議です。
何故、人は夢を見るのか。
夢とは一体、何なのか。
完全には解明されていない世界であるのは、
そこが実は、形が存在するこの世界にある物差しだけでは、
測ることの出来ない世界へと繋がっている場所だからなのかも知れません。
あの子が、夢の中の世界と現実世界を区別出来ていたのは、
幾つくらいまでのことだっただろう。
幼かった頃に出来ていた筈のことが出来なくなってしまうことって、
大人になればなるほどに、この世界との結び付きが強くなって、
他の世界のことを忘れてしまうように出来ているからで、
それは、形あるこの世界での生の中で、
学びや経験を得る為に、実はそんなふうに出来ているものなのかも知れないと、
今日の私は、こんな考えに至りました。
この世界は、形がある世界。
この世界というフィルターを通して見える世界は、
私が考えているよりも実は、
とても狭い世界であるに過ぎないのかも知れませんね。
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