あなたへ
青春、朱夏、白秋、玄冬。
ひとつの人生という時間を、
四季に例えた見方があることを知ったのは、いつの頃のことだったでしょうか。
あなたと出会ったのは、
青さがまだ抜けない人生においての春の季節。
大切に2人の時間を重ねながら、私たちはやがて家族になって、あの子が生まれて。
私たちの人生における季節はいつの間にか、朱色に染まる夏へと移り変わっていて。
初めて知った言葉に当て嵌めて、
私たちが共に歩んだ時間を、静かに振り返った日がありました。
この、人生においての四季については、明確な定義はされてはおらず、
それについてを少しだけ調べてみれば、様々な解釈がされた文字が見つかりました。
それはきっと、人それぞれに物事への考え方が違うように、
人生においての解釈の仕方も、人の数だけ存在するからなのでしょう。
この、人生においての四季という観点から、
私のこの人生は、秋の季節へと移り変わったのだろうかと、
こんなふうに自分の人生を見つめてみたのは、
あの子が巣立ちを迎えてからのことでした。
どんなに手が掛からなくなっても、我が子を育てるということは、
バタバタとした日々を過ごすもの。
あの子が巣立ち、急に静かになって。
私に流れる時間もまた、少しだけゆっくりとしたものを感じながら、
これが白秋と呼ばれる時期なのだろうかと、考えた日がありました。
ですが、少しずつ、ひとりで暮らすということへと慣れて行けば、
やがて私は、自分の人生についてを、
より一層、真剣に考えるようになって行きました。
どうして、人には体がひとつしかないのだろう。
どうして、1日は24時間なの?
どうして人は眠るのかな。
眠らない体があれば、もっと早く歩めるのに。
記憶を持たないで生まれて来る理由って、なんだろう。
実は何度も生まれ変わっているとするのなら、
どうして毎回、赤ちゃん時代からやり直すのかな。
自分の人生としっかりと向き合う中で、
時に笑ってしまうような疑問を持ちながらも、
不器用だけれど、自分なりに試行錯誤をしながら、
この人生を真剣に歩む私へと成長して行きました。
こうして、改めて人生における四季についてを考えてみれば、
今の私が歩むのは、やはり、秋というよりも、夏の季節であり、
あの子が巣立った後に感じたものは、例えるのなら、
真夏の夕立の後の、
ほんのひと時の涼しさのようなものだったのかも知れないと感じました。
私が歩むのが、人生における夏の季節であるのならば、
あなたを見送ったあの夏の中に止まっていたいと、
あの頃の私は、必死にあの夏へと手を伸ばし続けていたけれど、
私はあの夏から先もずっと、
あなたと一緒に迎えた人生においての夏の季節の中を歩み続けていて、
それは、あなたがいた夏の中を歩んでいることと、
ある意味では、同じであると、
こんな見方をすることも出来るのかも知れませんね。
まだまだ、真夏のような時期を歩んでいると感じている私ですが、
此処からずっと先へと歩んで行けば、
少しずつ、瞳に映る景色が変わり、
肌で感じるものが、耳に届く音が変わり行き、
人生においての秋を迎えたと感じる日が来るのかも知れません。
その時の私は、何を感じて、
あなたへの手紙には、どんな文字を綴る私になっているのでしょうか。
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