『俺は今、プラスのエネルギーの話をしたけれど、
それはマイナスのエネルギーも全く同じなんだよ。』
愚痴、不平不満、そして、陰口。
このような行動にはマイナスのエネルギーが発生し、
それらもまた伝染して行くのだと言う。
「あぁ、それ。分かるかも知れない。」
例えば皆で雑談をしている時なんかに、その中の誰かが1人でも誰かの陰口を叩くと、どんどん陰口大会になって行ってしまう。
それもまたエネルギーが拡大されているからであり、
同調する人が増えれば増える程に、
そこに発生するのは、大きなマイナスのエネルギーなのだそうだ。
「こんなこと言っても良いのか分からないけれど、
初めに陰口を言う人ってさ、いつも決まっているような気がする。
そういう人も、幸せになるために生まれて来たのよね?
幸せになるために生まれて来たのなら、
その人が発しなければならないのって、本当はプラスのエネルギーってことよね?」
『うん。そうだよ。人は皆、幸せになるために生まれて来た。
それなのに、マイナスのエネルギーを発生させてしまうのは、
【囚われて】いるからなんだよ。』
実は、囚われている期間が長ければ長いほど、
マイナスのエネルギーを発生させる力が強くなるのだそうだ。
そうして、類は友を呼び、尚更に囚われ続けるという負のループに陥るのだと言う。
「それなら何故、この世界には、
我慢とか、苦労とか、人をネガティブにさせるような物事が存在するの?
囚われてしまう物事がなければ、誰もが幸せに生きられるってことじゃない?」
プラスのエネルギーを発生させることが向こう側を創ることにも繋がるのなら、
そもそもマイナスのエネルギーを発生させるような出来事なんて、
なければ良いと思う。
『それじゃ、この世界に何もないのと同じ。
この世界に何もなければ、生まれて来る意味もない。』
経験することでしか知れないことがあるから、
この世界にはマイナスのエネルギーも存在するけれど、でも、それはただの通過点。
囚われるためにそれがあるわけじゃない。
そして、マイナスがあるからプラスのエネルギーが発生するとも言えるのだと、
夫は言った。
「ところで、そっち側の世界では、プラスのエネルギーを作ることは出来ないの?」
『出来ない。俺たちがいるこっち側は、無、とはまた違うんだけれど、
もの凄く穏やかなんだよ。
日々の生活があるわけでもなければ、
感情が左右されるような物事が起こるわけでもない。
よくさ、亡くなった人に、ゆっくり休んでねって、声を掛けるでしょう?
その、休む、というのがどういう感じなのか、
想像してみれば分かりやすいかも知れない。
生み出すのはこっち側の世界。だから皆、何度も生まれたがるの。』
「そっち側を創るために?」
『そうだよ。』
私は、この世界に生まれることは、学びのためなのだと思っていた。
だから時にネガティブな出来事が起こったりもする。
それらは成長するために起こる物事なのかも知れないと、
私はそんなふうに物事と向き合って来たけれど・・・。
「違うの?」
『そうだな・・・。そうだとも言えるし、違うとも言えるかな。』
マイナスのエネルギーを知ることで、
より強いプラスのエネルギーを創り出すことが出来る。
それは、学びを得て魂を磨くと言い換えることも出来る。
結果はどちらも同じことだから、私の考え方も間違いではない。
『でもね、ネガティブな出来事に対して、
間違えた捉え方をしてしまった場合には、その限りではなくなるんだよ。』
人生の中で起きるネガティブな出来事は、
ただ向き合い続ければ良いわけではないと、夫は言った。
『例えばさ、我慢に我慢を重ねたら、
その先には幸せが待っているみたいな捉え方があるけれど、それは少し違うからね。
我慢に我慢を重ねた先にあるのはね、更なる我慢になることもあるの。
それが囚われているってこと。』
例えば、凄くお腹が空いていて、でも、直ぐに食べられるものが家にないとする。
お腹が空いているのを我慢しながら、買い物へ出掛けることは、
我慢の先に幸せがあることになる。
でも、お腹が空いているのに、何も行動せずに、我慢だけをしていても、
お腹が満たされることは永遠にない。
『我慢にも実は2種類があるの。
前者のやり方が幸せに生きるってこと。
後者のやり方が囚われるってこと。』
この世界はこんなふうに、出来ているのだと言う。
『色々と難しい話をしたけれど、大切なのはひとつだけ。
人は幸せになるために生まれて来たってこと。
だからいつも、幸せになることだけを望んで生きて欲しい。
生きることは、苦しいと感じることも、辛いと感じることもあるかも知れないけれど、
でも、それらは人生の主役じゃないからさ。』