孤児院の礼拝堂は、午前の光に包まれていた。
子どもたちの朗読する声が、控えめに反響している。
扉の陰からそっと覗くと、
黒い簡素なドレスに身を包んだ若い女性が、子どもたちの前に立っていた。
声を荒げることなく、しかし一言一言がしっかりと届く話し方だった。
終わりの合図があると、子どもたちはぱっと散っていった。
残った彼女は、使い古された本を丁寧に並べ直していた。
「失礼・・・読み書きの先生を?」
彼は気付けば声を掛けていた。
彼女は驚いたように振り返ったが、すぐに小さく頷いた。
「はい。週に三度だけですが。お手伝いのようなものです。」
派手な身なりも飾った言葉もない。
けれど、そこには確かな知性と、自分の立ち位置をわきまえた誇りがあった。
孤児院の礼拝堂。
小さな声で文字を読む子どもたちの中に、彼女はいた。
落ち着いた黒い服装。きちんと結われた髪。目立たないけれど、目を引く。
彼が声を掛けたのは、あくまで礼儀からだった。
彼女は僅かに驚き、そして微笑んで応えた。
それだけのやりとりだった。
彼にとっては、名も知らぬ一教師とのすれ違い。
深く考えることもなく、その日は終わった。
ーーーけれど、彼女の側には、ひとつの感情が残った。
あの目を、もう一度見てみたい。
ただ、それだけが、消えなかった。ーーー
あの出会いの後、彼女は何度か、孤児院の行事や書類のやり取りの場に現れた。
誰かに頼まれたのか、自分から足を運んだのか、それは分からなかった。
けれど、彼女はいつも、少し遠くから彼を見ていた。
最初は気付かなかった彼も、周囲の小さな変化に気付くようになった。
シスターの何気ないひと言、周りからの柔らかな視線、
そして、彼女が彼に想いを寄せているらしい声が、
そっと耳に届くようになっていた。
執事は何も言わなかったが、一度だけ、
手帳の空白に、彼女とのお茶の予定を書き込んだ。
断る理由も見当たらず、彼はそれに頷いた。
数度の短い会話と、幾つかの手紙。
彼女の言葉はいつも丁寧で、そっと寄り添うような優しさがあった。
「この方となら、静かに暮らせそうです」
それは、彼女が誰かにこぼした一言だったが、
気付けばその言葉が、彼の耳にも届いていた。
特に強い感情があったわけではない。
ただ、断る理由がなかった。
受け入れることが、不自然ではなかった。
それから程なくして、2人は小さな式を挙げた。