「ねぇ、あなたの人生の目的は何だったの?」
物質化されてからの夫は、本当に様々な話を聞かせてくれたけれど、
思えば夫は、自分の話をあまり聞かせてくれていない。
これは、実は、夫に聞いてみたかったことだ。
『俺があの人生を選んだ目的は、たくさんあったよ。教えないけど。』
まぁ、こんな答えが返って来ることは予想していたけれど。
「それなら、それは達成出来た?」
『達成出来たよ。幸せな人生だった。』
「そう。それなら良かった。」
夫の答えは、胸の奥に、何か温かなものを灯してくれたような気がする。
これまで知らなかったそれをただ感じてみれば、
私の中に、幸せな気持ちがいっぱいに満たされて行った。
私は、夫の言葉を胸の中で何度も反芻してみた。
そっか。私は、夫の口から、
ただこの言葉が聞きたかっただけだったのかも知れない。
「次はどんな人生を生きたいか、決めているの?」
私からのこんな質問には、夫は、あの子と私次第だと言った。
「え?どういうこと?」
『教えない。自分で考えて。』
は?いや。え?どういうこと?
何というか、今の夫の言葉は、この人生に更に重みを加えたように感じる。
なんだか、責任重大な任務を任されているような・・・。
『そう。責任重大だよ。今、生きている人生は、
来世の人生にも大きく関わって来るからね。
でも、大丈夫。俺は2人を信じてるから。』
「えっと・・・え?」
でも、確かに。よく考えればそうだよね。
夫が物質化されてからの言葉の数々を辿ってみれば、
今、夫はとても当たり前のことを言っているだけなのかも知れない。
でも、そう。きっと大丈夫。
私は夫から、本当にたくさんのことを学んだのだから。
人が何も記憶を持たずに生まれる理由は、きっと色々あるのだろうけれど、
自分自身を信じて歩めるかどうかということも、
課題のひとつに入っているのかも知れない。
夫が話して聞かせてくれた様々な言葉を思い出しながら、
ふと、こんな視点を見つけてハッとすれば、
夫は不意に立ち止まって、私を抱き締め、黙って私の髪を撫でてくれた。
『人生は不思議だよね。
ひとつ疑問を持てば、必ず自分自身にとっての正しい答えが見えて来る。』
こんな夫の低く優しい声が聞こえたかと思えば、
ゆっくりと体を離すと、そろそろ帰ろうかと夫は体の向きを変えた。
『きっとあの子の仕事が落ち着いた頃に、家に着く筈だよ。』
こんな夫の言葉の通り、家に着くと、
あの子は寝転がって、携帯電話の画面を見ていた。随分と寛いでいる。
「おかえり。ちょうど今、仕事が片付いたところ。
いやー今日は疲れた!何か甘いものない?」
こんなあの子の声に、シュークリームを見せれば、あの子は喜んでいる。
「なんで分かったの?
俺、丁度、シュークリームが食べたいなって思っていたんだよ。」
これは、帰り道に夫に促されて買ったものだ。
『シュークリームを買って帰ろうよ。きっとあの子が喜ぶよ。』
車に乗り込むと聞こえて来た夫のこんな声を反芻しながら、
私はあの子の笑顔を見つめた。
早速、シュークリームを頬張るあの子に、夫は問い掛けた。
『これから、どんなふうに生きて行きたいの?俺に聞かせてよ。』
25歳には、30歳には、そして、40歳には、こんな景色を見ていたい。
そのために、今、学んでいること。
そして、来年、学びたいことなんかを、あの子は具体的に夫に聞かせている。
それは、私に何度も語って聞かせてくれた将来の夢と目標だ。
あの子は、本当にブレない。
そんなあの子から、私は幾つくらいの大切なことを学んだだろう。
『それはいいね。』
『あぁ、なるほどね。』
あの子の声に頷く夫の声と、楽しそうに、将来についてを語るあの子。
2人の声を聞きながら、私は晩御飯の支度を始めた。
家族の話し声が聞こえる中で晩御飯を作る時間というのは、とても幸せな時間だ。
かつての私にとっては、これが当たり前の時間だった。
でも、本当は、この世界には、当たり前なんて時間は存在しない。
私の耳に届く2人の笑い声。
キッチンから見える2人の姿。
私は今夜も、この家に流れる掛け替えのないこの時間を、大切に胸の中へと刻んだ。
「これも凄くお勧めだよ。面白かった。」
眠る前になると、今夜もあの子は、夫にお勧めの映画を紹介している。
『俺、もっとさ、こう、ドーンとする映画がいい。』
「あぁ、そっち系ね。それならさ、こんなのはどう?これも面白かったよ。」
『なにこれ?面白そうだね。』
ドーンとする映画って何?
私には全く意味が分からないけれど、どうやら2人は通じ合っているようだ。
パソコンの前に並んで、映画についてを、
あれこれと話し合う2人の声に黙って耳を傾けるこの時間も、
私にとっての掛け替えのない時間だ。
私は今日、夫と散歩をしながら、時間が止まってしまえば良いと考えたけれど、
でも、人生の中には、こんなふうに、
ずっとこの中にいたいと思えるような瞬間が無限に訪れる。
この世界に流れる時間を止めることは出来ないけれど、
その代わりにこうして、自分にとっての掛け替えのない瞬間は幾つも訪れるのだ。
やがてまたそれぞれの居場所へと戻る時が訪れても、
こんなふうに、幾つもの素敵な瞬間が訪れるのだろう。
きっと、それが人生だ。