今日も、朝から青空が広がり、とても気持ちが良い日だ。
お昼を食べ終えた私たちは、
薔薇が咲く公園内をゆっくりと一周した。
そうして最後に、あの子が連れて行ってくれたのは、近所の公園だった。
此処は、私たち家族3人にとって、最もたくさんの思い出が残る場所だ。
あの子が乗ったベビーカーを押しながら。
小さな手を繋いで。
あの子が乗った三輪車を押しながら。
サッカーボールを持って。
自転車に乗って。
此処には、家族3人の歴史が刻まれている。
3人で公園内をゆっくりと歩きながら、
どんぐりを拾った場所や、ボール遊びをした場所、
大きな雪だるまを作って遊んだ場所なんかで立ち止まった。
此処には本当にたくさんの思い出が刻まれている。
「ここでキャッチボールしてくれたよね。
暗くなって、ボールが見えなくなるまで遊んでくれたよね。」
夫へ向けたこんなあの子の声に立ち止まったのは、芝生が生えた広場の前だった。
『あぁ。そうだったね。キャッチボールに誘うと、
いつも嬉しそうな顔をしてくれてしたから、俺も凄く嬉しかったよ。』
そうだった。夫は、仕事から帰ると、時間がある限り、
あの子をキャッチボールに誘っていた。
2人の楽し気なただいまの声に、キッチンから返事をするのも、
あの頃の日常だったっけ。
「あっ!ねぇ、覚えてる?ここでよくSボードをして遊んだよね。」
私たちが次に立ち止まったのは、道路に面した大きな駐車場だ。
「あぁ!やったよね。
ここで俺たちがSボードをしているとさ、あそこからお父さんに呼ばれてさ。」
駐車場のフェンスの向こう側を走る道路は、夫の通勤ルートだった。
仕事帰りに此処に私たちの姿を見つけた夫は、
いつでも、車を置いたら行くからそこにいてと、声を掛けてくれていた。
そんなある日の夫は、
キックボードに乗って来てくれたのだけれど。
「あの時のお父さんは、不審者だったよね。」
そう。髪を振り乱しながら、
一心不乱にキックボードを漕いでやって来た夫を一瞬、
不審者と見間違えて、警戒してしまったことは、笑ってしまう思い出だ。
『そんなに怪しかったかな。』
恥ずかしそうに笑う夫に、凄く怪しかったと2人で返しながら笑った。
爽やかな風が吹き、新緑たちが揺れる音が聞こえる。
夫は、風が感じさせる感触を楽しむかのように、目を閉じた。
『あぁ、やっぱり、この世界は良いな。』
こんな夫の声に、私たちも、5月に吹く風を感じてみた。
『音が聞こえる。景色が見える。こうして、肌で風を感じることも出来る。
2人はこれを当たり前のように思っているのかも知れないけれど、
こんなふうに感じることが出来るのは、身体があるお陰なんだよ。
生きるって、本当に尊いことだ。
泣いてる暇も、悩む暇も、落ち込む暇もない。
そんなところに時間を使うのは、本当に勿体ない。
何歳まで生きられようと、人生はとても短いものだ。
だから、精一杯、この世界を楽しんでおいで。』
家族3人でのお出掛けの時間の最後に、夫はこんな話をしてくれた。
そう。命が有限であるのならば、
今、当たり前よのように感じることの出来ている爽やかな風も、
新緑が揺れる音も、太陽の光も、
この世界で感じられるもの全てもまた、限られた時間だけのものなのだ。
しっかりと前を向き、顔を上げて歩むこと。
それは、この世界にある美しいものを、
最大限に楽しみながら歩むことでもあるのかも知れない。
その日の夜。
あの子と私は、なかなか夫へのおやすみの挨拶が出来ずに、
なんとなく、夫の側に寄り添っていた。
朝から不定期に七色に輝いては、少しずつ、透けて行った夫は、
夜には、よく見なければ、時々見失ってしまう程に透けていた。
でも、これはお別れなんかじゃない。
元に戻るだけの話だ。
もう二度と、この瞳に映ることはなくとも、
夫という存在自体が消えてしまうわけじゃない。
それなのに、いつも通りに、おやすみの挨拶が出来ない。
でも、こんな時に、どんな話をしたら良いのかも分からない。
どうしたら良いのかが分からなくて、
そっと夫の頬に手を伸ばせば、夫は、寝ないの?と笑っている。
いつもは底抜けに明るいあの子も、ただ黙って父親を見つめている。
側に寄り添う私たちをそれぞれに見つめると、
『さあ!もう寝る時間だよ!2人とも。』
こう言って、夫は私たちをふわりと抱き締めた。
『命は有限だ。立ち止まっている暇なんてないよ。
しっかり休んで、また明日から元気にこの世界を生きろ。
朝になったら起こしてあげるから、今日はもう、おやすみ。』
夫は、守れない約束はしない人だ。
きっと明日の朝も、夫はちゃんと私たちを起こしてくれる筈だ。
夫がくれた約束は、私たちの緊張を解いてくれた。
こうして私たちは、いつも通り、
夫におやすみの挨拶をして、休むことにしたのだ。
そう。また明日から元気に歩むために。