あなたへ
形のあるものがどんどん古くなって行ってしまうのは、
この世界に時間という概念が存在するからなのでしょう。
あなたが贈ってくれたもの、そして、あなたと一緒に選んだものを、
私はどれだけ手放さなければならなかっただろう。
それらを手放さなければならなくなった時、
あれからどれだけの時間が経ったのかを振り返って、
記憶だけは、決してなくなったりはしないからと、
もう一度、あの頃をしっかりと振り返り、この胸の中へと記憶を刻み直すのです。
これにしようか
あの日、あなたと一緒に買いに行ったのは、
ホットカーペットのカバーでした。
我が家のホットカーペットが壊れたことで、
二畳サイズから三畳サイズへと買い替えたあの年。
ホットカーペットだけを買って来て、
すっかりカバーのことなど忘れていた私たちは、
少しの間だけ、それまで使っていた二畳サイズ用のカバーを使い、
改めて、三畳サイズ用のカバーを買いに出掛けましたね。
様々なカバーを見ながら、私の目に止まったのは、ブラウン系のカバー。
これ、良いと思わない?
季節に合った落ち着いた色が気に入って、あなたを呼べば、
あなたは言ってくれたのでした。
じゃあ、これにしようかって。
あなたを見送ったあの夏を過ぎても、
此処へ越して来てからも、
寒い時期になれば、この、ブラウンのカバーを敷いたホットカーペットが、
我が家の季節の象徴でした。
あなたが此処に居なくても、
窓から見える景色が変わっても、
あなたと見ていた景色だけは、我が家の中に当たり前に存在していた筈だったのに、
その時がやって来てしまったのです。
もう、買い替えの時期など、とっくに過ぎていたのかも知れないな。
ホットカーペットのカバーを見つめながら、思わずこう呟いたのは、
いつの間にか随分と傷んでいて、破れた箇所を見つけたからでした。
折角だから、別な色を置いてみようって、
寂しさの中にも、楽しむ気持ちで、向き合っていた筈なのに、
我が家の中に、新たな色を取り入れてみれば、
小さなため息が漏れ出てしまったのは、
新たな色を取り入れた我が家が、
まるで、誰か別な人の部屋であるかのように、
感じてしまったからなのかも知れません。
あなたと見ていた景色は、もう、なくなっちゃったんだな。
胸の奥の痛みをしっかりと感じ切りながら、私は、
確かにこの胸の中に刻まれている記憶をもう一度、しっかりと、刻み直したのでした。
変えたばかりのホットカーペットのカバーの色は、
まだ見慣れぬ景色。
外出から帰宅すれば、ほんの一瞬だけ、戸惑いながらも、
部屋の中へと足を踏み入れて。
これが私にとっての新たな景色なのだと、部屋中を眺めてみるのです。
きっと私は、此処にある新たな景色に慣れるまでの間、
何度でもこうして、部屋中を眺めては、
かつての此処にあった筈の景色を、何処かに探そうとしてしまうのだろうけれど、
でもね、本当は、知ってるよ。
ねぇ、あなた
今日は、ホットカーペットのカバーを買いに行って来るね
随分、古くなっちゃったからさ
今度は、明るいグリーン系が良いかな
買い物へと出掛けた先日の私の声を、きっとあなたは、
何処かで聞いてくれていたのよね。
だからきっと、私が思い描いていた色合いのこのカバーが、
直ぐに見つかったのだと、私は、そんなふうにも感じています。
グリーン系ならさ、これなんて良いんじゃない?
あの日のあなたは、例えばこんなふうに、
ひとりで買い物へと出掛けた私に、
そっと静かに、語り掛けてくれていたのかも知れませんね。
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