拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

私の中に存在する時間

あなたへ

 

あぁ、そっか。

きっと今の私の中には、2つの時間が存在しているんだ。

 

この世界に流れる時間を見つめながら、そして、

あの夏から先へと歩んだ日々を振り返り、

自分の中で、ふと、こんな新たな視点を見つけて腑に落ちたのは、

いつの頃のことだっただろう。

 

今日は、あなたを見送ってからの私の中へと存在するようになった、

時間についての話をしてみたいと思います。

 

あなたを見送り、私は、

それまで知らなかった時間の経ち方を知りました。

 

あなたを見送ってからの年数に対して、

もう、と誰かに表現されることへ苛立った日々。

そして、あなたを見送ってからの日々に対して、ただ、長かったと表現したのは、

あなたを見送ってから、5年が経った頃のことでした。

 

長かった。

 

あの頃の私は、その表現に対して、

なんとも言えない矛盾のような違和感を実は感じてもいたけれど、

そう表現する以外の術を持たなかったのは、あの頃の私にとって、

この世界の時間の流れは、

ひとつしか存在しないものだと考えていたからだったのかも知れません。

 

あの夏から先へと歩めば歩む程に、

この世界に流れる時間を、様々な角度から見つめるようになりましたが、

あなたを見送ってからの私が持った視点たちを振り返りながら、

私がやがて見つけたのは、

あなたを見送り、初めて、長かったと感じたあの年は、

あなたを見送ってからの年数に対してではなく、

高校を辞めたいと、こんな話をしてくれるようになったあの子と、

ひとりで向き合った日々に対して、長く感じていたのかも知れないと、

こんな新たな視点でした。

 

あの子が高校の卒業式を迎えた日の私は、

反抗期のあの子と向き合うよりも、

高校を辞めたいと話すあの子と向き合う方が大変であったと、

こんな文字を綴りましたが、あの頃の中にいたあの子は、やがて私に、

私の中には、2つの時間が存在することを気付かせてくれたのです。

 

きっと私は、いつの頃からか、

あの夏から止まったままの時間と共に、

この世界に流れる時間の中を生きるようになったのだと。

 

そうして私は、少しずつ、

あの夏で止まったままの時間と共に、この世界に流れる時間の中を生きることが、

私にとっての、あなたの分まで生きるというやり方なのかも知れないと、

こんな視点を持つようにもなりました。

 

こんな新たな視点を私に見つけさせてくれたのもまた、

高校生だったあの子のお陰なのでしょう。

 

あなたを見送ってから、11年が経った今の私にとっても、

あの夏からの時間に対して、

もう、とも、まだ、とも感じることはありませんが、

もしもいつか、あなたを見送ってからの時間に対して、

もう、或いは、まだ、と感じる時が来たのなら、

その時は、私の中に存在する、

ふたつの時間の境界線が近付いた時なのかも知れません。

 

今の私には、その感覚がどのようなものであるのか、分かりませんが、

もしもいつか、そのような時を迎えたのなら、この世界に流れる時間に対し、

今の私がまだ知らない新たな視点を、

見つけたということにもなるのかも知れませんね。

 

 

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