拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

前を向くための儀式

あなたへ

 

今朝の私も、いつも通りに目が覚めて、

今日も、昨日の続きを生きることが出来ました。

 

昨日の私は、元気がなかったけれど、

今日の私は、元気を取り戻して、

また、前へ歩みたいという気持ちを胸に抱きながら、

1日を無事に過ごすことが出来ました。

 

昨夜は、早く寝るつもりだったけれど、

何故だか、遅くまで、あの子と話し込んでしまって、

今日は、ちょっと寝不足のまま、1日を乗り切りました。

でも、昨夜は、

あの子と過ごした時間が楽しかったから、良いの。

 

近頃の私は、焦り過ぎて、

まだ見えない遥か遠くにばかり、

目を凝らしていたのかも知れません。

 

昨日は、豪快に、

もう、私の中に残っているため息などなくなるくらいに、

何度も、ため息を吐き出して、

盛大に落ち込んだけれど、

俯いた私に見えたのは、

今の私のすぐ側にある大切なものでした。

 

健康で生きられることも、

あの子と笑い合う時間も、

温かな布団に入る瞬間も、

いつも通りに目が覚めて、新しい朝を迎えることが出来るのも、

今の私を幸せにしてくれる、掛け替えのない大切なもの。

 

遥か遠くが見えないのなら、近くを見てみればいい。

 

ため息を全部、吐き出した私に見えたのは、

すぐ側にある小さな幸せたちでした。

 

昨日は、心配掛けて、ごめんなさい

 

こんな私の声に、

今頃のあなたは、何処かで、笑っているでしょうか。

 

前を向いたり、後ろを向いたり、立ち止まったり、忙しい奴だな なんて。

 

でもね、これはきっと、

今の私が、前へと歩むための儀式なのよ。

 

前を向いて、電池が切れるまで歩んだら、

豪快にため息を吐き出しながら、

立ち止まって、

改めて、大切なことに気が付いて、また歩み出すの。

 

またいつか、

あーあだよ!もう!

なんて、昨日の私みたいに、

豪快に、ため息を吐く日が来るのかも知れません。

 

でも、その時の私はね、

きっと、今の私が立つこの場所よりも、ほんの少しだけ、

前へと歩むことが出来た私なのでしょう。

 

 

 

 

電池切れ

あなたへ

 

あーあ・・・

あーあだよ!もう!

 

帰宅してからの私の、こんなため息混じりの大きな声は、

あなたのところまで、聞こえてしまったでしょうか。

 

あなたを見送り、いつの頃からか、

夢を持つことが出来た私が、

舗装のされていない、険しい道と知りながら、

自ら進んで、この道を歩むことを決めてから、

どのくらいが経ったでしょうか。

 

あれから、どのくらいまで歩んだのか、

或いは、全然、前へと進めていないのか、

今の私には、その距離を測る術もないままに、

今日の私は、電池切れを起こしてしまったようです。

 

今日の空は、青空が広がって、とても綺麗だったのに、

冴えない気分は、晴れないままに、夜を迎えてしまいました。

 

これまでに、私は、何度こうして、立ち止まっただろう。

ひとり、大きなため息を吐き出しながら。

 

こんなふうに、電池切れを起こして、

何故だか、苛立ちながら、

帰宅早々に、大きなため息を吐いたことも、

あなたなら、

どんな言葉をくれるのだろうって、真剣に考えたことも、

いつの日か、

ずっと先の未来の私は、

懐かしいと、笑いながら、振り返れる日が来るのでしょうか。

 

何度目かの大きなため息を吐き出しながら、

あなたの顔を、見つめてみれば、

今日のあなたは、

なんだかとても、心配顔で、こちらを見つめ返すから、

大丈夫だよ

私は、まだまだ、頑張れる

だから、心配しないで って、

今日は、こんな言葉で、締め括りたいと思います。

 

きっとね、大丈夫。

明日の朝には、いつも通りの私が、目を覚ますはずだから。

 

 

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あなたを見送ってからの私に見えるもの

あなたへ

 

先日の帰宅途中のことでした。

運転する私に見えたのは、

進行方向の数メートルほど先の歩道に立つ、マスクをした男性でした。

 

渡りたいのかな。

 

そんな気持ちから、私は、アクセルを緩めて、

いつでも停まれるようにしながら、近づいて行きましたが、

丁度、男性が立っているように見えた場所には、

誰も、立ってはいませんでした。

 

あれ?さっき、男性がここにいたはずだけれど。

 

この現象。

実は、あなたを見送ってからの私に、

時々、起こることです。

 

遠くに、人の姿が見えたり、視界の端に、人の姿が見えたり。

 

でも、人が立っていた場所へ近づいてみると、誰もいなかったり、

視界の端に映った人へと視線を移すと、誰もいなかったり。

 

何故だか、あの夏から、時々、こんなことが起こるのです。

 

今、カーブミラーに、女の人が映ってたよね?

どうしていないんだろう

 

私のこんな言葉に、あの子が怖がったのは、

あなたを見送り、初めて迎えた冬のことでした。

 

あれは、たった一度だけ、この現象を口にした日。

 

あれ以来、口に出すことはなくなりましたが、

私には、時々、同じ現象が起こりました。

 

特別な力など、何も持ち合わせてはいないはずの私。

 

きっとね、気のせいなのです。

疲れているのかも知れません。

 

あの夏から、私は、ずっと、疲れているのでしょう。

 

でも、もしも・・・

もしもです。

 

もしも、気のせいではないのなら、

私に見えているのは、

きっとね、誰かの大切な人だと思うのです。

 

だって、とても怖がりな私なのに、

これらの現象に、

一度も、怖いと感じたことは、ありませんでしたから。

 

もしかしたら、此処に遺した大切な人に逢いに行く途中の、

そちら側の人だったのかも知れませんね。

 

あなたがいるそちら側と、

私たちがいるこちら側は、

どこかで繋がっていて、

時々、境界が曖昧になるということもあるのでしょうか。

 

あなたを見送ってからの私に、時々、起こる現象を、

これまで、気のせいとして来ましたが、

何故だか、ふと、そんなことを感じました。

 

あなたを見送ってからの私は、

見ようとしなければ見えないものが、

たくさんあることに気が付きましたが、

見ようとしなければ、見えるもの、

というものもまた、存在するのかも知れませんね。