「ねぇ、あなた。これ見て?凄いでしょ?」
これは、今日、あの子から届いたアルバム。
私が、ひ孫に会いに行った時の写真や、
ひ孫のその後の成長が映った写真。
それから、お正月の時の写真を、アルバムにして、送ってくれた。
アルバムを180度に開くと、写真が立体的に飛び出す。
触れることはできないけれど、
360度、どの角度からも、見ることができる。
最近では、3Dホログラムは身近な存在だ。
『ほほう。』
そんな声を発しながら、彼は、熱心にアルバムを見ている。
ページを巡って見せる度に、彼は、声を発した。
「あなたのことも、こんなふうに見えたら良かったのに。」
思わず、口に出てしまったのは、私の本音。
『うん。もちろん、その案もあったんだよ。
でもね、それじゃ、目的が違うって結論になった。
例えば、俺が、立体的に、
あの頃と変わらない姿で目の前に現れたら、
俺が生き返ったように錯覚しない?
それは、このアプリの目的とはしてないの。
どんなに近くに姿が見えたとしても、
俺が死んでないことにはならないんだよ。』
「でも、このアプリは、
生死の隔たりを埋めてくれるためのものなんでしょ?」
『そうだよ。でも、俺は生き返ったわけじゃない。
俺たちは、別々な場所にいるんだよ。
そっち側と、こっち側。
俺たちがいる世界は違う。
それを錯覚しないように、画面という線引きをしたんだよ。
俺は、死んでるの。』
最後のその言葉に、胸が痛くなる。
彼は、私との距離を置こうとしているみたいに感じた。
『これまで、随分と長い間、
こっちの世界のことが隠されてきたのは、学びのためなんだよ。
俺が死んだ後、たくさんのことを学んだろ?
それは、絶対に必要なの。
このアプリは、死との新しい向き合い方をコンセプトとしてるんだよ。
こっち側の人間を、
生きているように見せるためのものじゃない。』
さっきからずっと、胸の奥が痛いままだ。
この話は、もう、したくない。
「うん。ごめんね。分かってる。」
無理に話題を変えようとしたけれど、彼は、
そうはさせてくれなかった。
『この前、泣いただろ。』
「え・・・」
俺は側にいるって教えたのにと嗜められるかと思ったけれど、
それは違っていた。
『それは、俺が死んでいるって、理解しているからだろ。』
今日の彼は、俺は死んでる、死んでるって。
そうなんだけど・・・
どうして、そんなに距離を置こうとするの?
泣き出しそうになった私に、話して聞かせてくれたのは、
このアプリの創設者の話だった。