拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

KANATA 19

アプリの創設者。名は、カイトと言う。
彼もまた、若くにこちら側へ来なければならなかった人間のひとりだった。


カイトの妻は、彼の死後、
寝込むことが多くなり、表情がなくなった。
カイトは、一時も離れることなく、
彼女には聞こえない声で、語り続けた。


側にいるよ。
笑って。


夢の中では、毎晩のように彼女との時間を過ごし、
前へと歩めるように背中を押したけれど、
彼女が変わることはなかった。


あの手この手で、
彼女をなんとか前を向かせようと試みたけれど、
どれも上手くいかずに、時間ばかりが過ぎていった。


彼女に、寄り添い続けながら、カイトが疑問に思ったのは、
生きている人間との交流が、何故、夢の中が主であるのか。
ということだった。


そんな時、
天国で言い伝えられる物語があることを知った。


その昔、人生を全うし、天国へと居場所を変えた者たちには、
遺してきた人たちとの交流手段がなかった。
それぞれに、遺してきた人たちの側に寄り添いながら、
そっと、想いを伝えることが、唯一のやり方だった。


遺してきた大切な人が毎日、毎日、
嘆き悲しむのを見るに耐えかねていたのは、とある若者だった。


どうにか想いを伝えたい。


そんな願いから、若者は、神に会いに行き、
夢の中で想いを伝えるという提案をした。


神は、すぐに良い返事をくれたわけではない。
それでは、生きている人間の学びにはならないと、追い返された。


それでも若者は諦めずに、
何度も、何度も、神の元へ通い続け、
若者の願いは、漸く、叶えられることとなった。


そうして、死者と生者は、夢を通して、
関わり合うことが出来る様になった。


そんな物語だった。


カイトは、その物語を知り、
誰かの想いがあって、夢の中での交流が認められたのなら、
自分にも何か、出来ることがあるのではないかと考えた。


カイトは、生前、技術者だった。
生前の経験を生かし、電波についての研究を始めた。


やがて、彼の意向に賛同する元技術者たちが、
彼の元へと集まるようになり、
大きなプロジェクトチームとしての活動となっていった。


当初は、微弱の電流を使い、
故人の姿で逢いに行くことも提案されていたが、
生と死の決定的な線引きに欠けるとの意見から、
画面越しでのやり取りという形に落ち着いた。

 

このアプリの目的は、死者が生き返ったように見せるためのものではない。

生者が前を向いて生きて行けるよう、こちらから想いを届けるためのものだ。


「生者は、皆、言います。
亡くなった人は、きっと、側にいるんだよと。
きっと、ではありません。
側にいます。
私たちは、これまで、静かに寄り添いながら、そして時には、夢の中で、
生者にとって、曖昧な形で、側に寄り添うという形をとってきました。
ですが、皆さん。どうでしょうか。
きっと、では心許ないと思ったことも、あったのではないでしょうか。
ここにいるよ。
だから、大丈夫。
頑張れ。
私は、そう力強く背中を押す方法があってもいいと思いました。
向こう側に遺してきた大切な人が、笑顔で、前を向いて歩む姿を見守りたい。
ここにいる誰もが、そう望んでいることでしょう。
向こう側では、どんどん技術も進み、素晴らしい進化を遂げています。
私は、この世界に、新たな希望を生み出したい。
それぞれのその想いが、遺してきた大切な人へ、確実に届く。
このアプリのコンセプトは、死との新しい向き合い方です。」


被験者の説明会では、そこにいる誰もが、彼の話に賛同した。
中には、涙を流しながら、
彼の話に耳を傾けていた者もいた。


そこにいる誰もが、カイトと同じ気持ちで、
誰かに寄り添ってきたのだ。


カイトの妻は、
もともと、好奇心旺盛で、活発な女性だった。
また彼女が活躍し、笑っている姿を見たい。
カイトのこんな想いから、開発されたのが、アプリ【KANATA】だった。


生と死。
私たちには、決して超えられないものがあるけれど、
それでも、この世を去った人の想いまでもが、
消えてしまうわけじゃない。


「ところで、このアプリは、神様から反対されなかったの?」


これは、冗談半分の質問だったけれど、
真面目な答えが返ってきた。


『猛反対されたらしいよ。

でもね、ひとり、変わった神様がいるんだって。
神様ってね、いっぱいいるんだけれど、
神様が皆、カイトの提案に反対する中、
ひとりだけ、カイトの味方をしてくれた神様がいたらしいよ。
で、その神様が、他の神様を説得してくれて、
このアプリの試験段階まで、進めることが出来たんだって。
死者が夢を持ってはいけないわけではない。
やってみなさいってね。』