梅雨明けが待ち遠しい。
今年もまた、彼と出会った夏が来る。
今年は、忘れられない特別な夏にするの。
だって、彼と一緒に過ごす夏だから。
私は今、とある秘密計画を遂行するために、
日々、粛々と準備を進めている。
「やっぱり、これにして正解でしょう?」
「ちょっと、派手じゃないかしら。」
「そんなことないわ。とても似合ってるわよ。ほら、よく見て?」
鏡越しに柔らかく微笑むのは、
着付けの資格を持つ友人だ。
お願いしていた浴衣が仕上がった。
これまで、和装に縁遠かった私は、
彼女に、浴衣の柄選びからを一緒に手伝って貰った。
「花火大会に、なにか、素敵な予定があるのね。」
そう言って静かに微笑んだ彼女は、いつも、余計なことは聞かない。
彼女のそういうところが、とても好きだ。
花火大会の当日は、髪のセットも、着付けも、
彼女にやってもらえることになった。
若い頃、美容師として活躍していた彼女は、
「その浴衣に似合う髪型を研究しておくわね。楽しみにしていてね。」
そう言って、笑顔で帰って行った。
彼と初めて出逢ったのは、
この辺りで行われる花火大会を過ぎてからのことだった。
「一緒に、花火大会に行けなくて、ごめんね。」
電話越しに、すまなそうな彼の声が聞こえたのは、
彼と出逢ってから、2番目の夏。
あれは、会社の廊下で、こっそりと掛けてくれた電話だった。
「花火の音を聞きながら、仕事をしてたよ。」
あの日の彼は、そんなふうに笑っていたっけ。
あの年の彼は、一緒に花火大会に行けなかったからと、
私のために、小さな花火大会を開いてくれた。
「こんな花火でごめんね。」
あの時、彼は、そんなふうに言っていたけれど、
私は、とても嬉しかった。
彼と一緒に、花火大会に出掛けるのも、
きっと素敵な時間だったと思うけれど、
あの小さな花火大会も、とても素敵な時間だった。
彼と過ごした2番目の夏に見たあの小さな花火大会は、
私にとって、忘れられない素敵な思い出だ。
彼と一緒に、毎年、花火大会に出掛けるようになったのは、
私たちが結婚し、あの子が生まれてからのことだった。
あの子が生まれ、暫くが経った頃に、
それまでよりも、少しだけ、
時間が自由になる会社へと、転職したからだった。
最後に、家族3人で、花火大会へ出掛けたのは、
あの子が、小学6年生の時。
「家族3人で、この花火大会を観るのは、きっと、これが最後だね。」
あの年に、そんな話をしたことを、よく覚えている。
来年からのあの子は、きっと、友達と花火大会へ来るのだろう。
中学生になり、少しずつ、親離れを始めるのであろうあの子の姿を、
上手く想像出来ないままに、
私たちは、そんなふうに、話し合っていた。
あの日の私が思い描いていた未来には、
花火を観る私の隣に、彼の笑顔があるはずだった。
向日葵の柄の浴衣を着て、慣れない下駄で歩く私の手には、
彼の温もりがあるはずだったのだ。
今年からは、2人だね。
そんなふうに、あの子の成長を、彼と一緒に喜び、そして、
どこか少し、寂しさを感じながらも、
彼と2人で過ごすのであろう時間を楽しみにしていたのだ。
それなのに、あれから1年後、
彼は、目を閉じたまま、
その温もりを、私に与えただけで、
もう、彼の瞳に、私が映ることはなかった。
向日葵の柄の浴衣を着て、
彼と一緒に、花火を観ることが、あの頃の私の夢だった。
「あの頃の私の夢が、叶うだなんてね。
長生きは、してみるものね。」
家に帰って、早々に、浴衣を羽織り、鏡を覗き込んでみる。
あの頃よりも、随分と、年を重ねてしまった私には、
向日葵の柄は派手かも知れないと、
最後まで、自信を持てずにいたけれど、
どこか大人の雰囲気を漂わせた、落ち着いた向日葵の柄を選んでくれた友人が、
力強く、私の背中を押してくれた。
「彼女に選んでもらって、良かったわ。」
花火大会の日が待ち遠しい。
初めて見せる浴衣姿に、彼はどんな顔をするのだろう。