彼が亡くなり、あの子と2人、二人三脚で生きる毎日が始まった。
私は、笑うことを忘れ、得体の知れない何かから、必死に逃げるように、ただ焦っていた。
何処かに辿り着かなくてはならない━━━。
それが何処であるのかも分からないまま、私は、焦り続けていた。
なかなか笑うことが出来ないでいた私を、あの子は、たくさん笑わせてくれた。
私の心にぴったりと寄り添ってくれたあの子は、とても温かかった。
あの子だって辛かったはずだ。
それなのに、懸命に私を守ろうとしてくれるあの子の姿に、胸が痛かった。
あの子が眠ると、その寝顔を見ながら、何度同じことを思っただろうか。
ごめん━━━弱い母親で、ごめんねと。
『彼の分まで、あの子を守る』
そう決心したはずの私には、彼のような強さを持ち合わせてはいなかった。
私は、いつでも彼が側にいてくれたから、強くいられたのだ。
彼がここにいなければ、私はただの弱い人間に過ぎなかった。
それでも、私は、あの子に支えられながら、少しずつ、笑うことを思い出し、少しずつ、前を向く努力をすることが出来るようになっていった。
━━━あれは、あの子が笑うことを覚えた頃のことだった。
彼は、その時間が許す限り、あの子を笑わせては、嬉しそうな顔をしていた。
彼と、小さなあの子が楽しそうに笑う声を聞きながら、家事をする時間は、とても幸せな時間だった。
あの頃、彼は私に言ったんだ。
「この子には、いつも笑っていてほしい。」
と。
あの子に笑わされる度に、あの頃の彼の言葉を思い出しては、彼が遺した想いがここに生き続けていることを知った。
彼が、あの子に一番はじめに教えたことは、たくさん笑うことだった。
笑うことは強さへと繋がるのかも知れない。
彼が遺した想いが、私に、それを教えてくれた。
その月日を迎えると、あの子も人並みに反抗期を迎えた。
それでも、あの子は、とても優しかった。
私が想像していた反抗期とは、何もかもが違った形で、その成長する姿を見せてくれた。
穏やかなその性格は変わらずに、いつも何かに追われながら、ひとりで焦り、苦しみ続ける私の側に寄り添ってくれていた。
反抗期を迎えても、二人三脚の紐は解けることなく、あの子は、私と共に、前へと進んでくれたのだった。
彼と3人で住んでいた貸家からの引っ越しを決めたのは、家賃の問題からだった。
私ひとりでは、どうにもならなかった。
出来ることなら、彼が使っていたものを全部そのままに、時を止めたまま、ずっとそこで過ごしていたかった。
『引っ越しをしよう』
それは、苦しんで、出した私の結論だった。
引っ越しをしなければならないと漠然と考えるようになったのは、彼がこの世を去り、間も無くの頃だったけれど、実際に、此処へ引っ越して来たのは、あの日から、2年と5ヶ月程が経ってからだった。
引っ越し当日を迎えるまでの日々を思い出すと、とにかく何かに追われ続け、苦しかった。
早く引っ越しを終えなければという焦りと、本当は引っ越したくないという気持ちが、葛藤し続け、時々、息ができなくなるような感覚に襲われた。
彼のものを減らす作業は、胸が締め付けられるような痛みが伴うことだった。
私にとって━━━きっと、あの子にとっても、彼が使っていたものは、全てが彼の分身だった。
それでも、引っ越し先に全てを持って行くことは出来ず、ある程度のものは、処分しなければならなかった。
永遠にも感じられた、吐き気がするほど辛かったあの時間を、なんとか前を向くことが出来たのは、あの子が側にいてくれたからだった。
どんなに辛い時でも、必ず、側に助けてくれる人がいる━━━。
いつかそんな言葉を聞いたことがあるけれど、私にとって、それはあの子なのだと思う。