「あのね、あのね・・・」
ここに来る前に、ちゃんと考えて来たんだ。
彼に伝えたいこと。
どんな時間を過ごしたいのか。
それなのに、彼を目の前にした私は、何一つ言葉になど出来なかった。
想いを全部伝えたいのに、
それを伝えるだけの言葉など、初めから存在しなかったかのように、
言葉はひとつも出てこなかった。
あのね。
そればかりを繰り返してしまう私に、彼は、うんうんと頷く。
「分かってる。全部、分かってるよ。大丈夫。」
そう言って、彼は、私を強く抱き締めてくれた。
私たちには、初めから、言葉など、必要なかったのかも知れない。
ただこうして、想い合うこと。
それだけできっと、気持ち伝えられる。
その時を悟ったかのように、
彼が少しだけ、私から体を離したところで、
私の首にかけたペンダントが光り出した。
8分間。
約束の時間は、彼と私を、また離れ離れにしようとしている。
それでも、私は、約束を守らねばならない。
「行こうか。」
彼は私に優しく微笑むと、私の手を取り、歩き出した。
堪え切れない涙は、後から後から溢れ落ちる。
大きな扉までの数十歩。
なんの言葉も出ないまま、遂に、あの大きな扉まで来てしまった。
最後に、彼の手を強く握り締めれば、
彼も、優しく握り返してくれた。
そうして、再び、彼の手を離さなければならなくなった。
大きな扉が開き、私を扉の向こう側へと送り出そうとする。
隣に並んだ彼を見つめ、名前を呼ぶと、
彼は微笑み、優しく私の髪を撫でてくれた。
そうして、少しずつ下へと下がっていったその手は、そっと私の背中を押した。
扉の向こう側へと。
急いで振り返ると、
大きな扉が、ゆっくりと閉まっていく。
「笑って?」
彼は最後にそう言って、私に笑いかけた。
だから、必死で涙を拭って、私も、彼に笑顔を向けた。
大きな扉は、ゆっくりと閉じられ、やがて、バタンと大きな音が聞こえた。
大きな扉の向こう側と、こちら側。
これが、生と死を分ける境だ。