あなたへ
幼かったあの子のことを振り返りながら、思い出していたのは、
あの子が初めて見つけた将来の夢についてでした。
ねぇ、あなたは、覚えていますか。
大きくなったら忍者になりたいと、
こんな将来の夢を持ったあの子のことを。
これはね、巻物にもなるんだよ
幼稚園から貰ってきたお便りを、
クルクルと丸めて巻物にして、口に加えたあの子が、
これで壁抜けの術が出来るのだと、何の迷いもなく襖へと突進したのは、
幼稚園に通い始めてから、どれくらいが経った頃だったでしょうか。
修行が足りないなって笑ったあの日のあなたの話は、
どんどん収拾がつかなくなってしまって、最終的には、
パパの巻物は、会社にあるんだよって、
あなたったら、こんなことを言い出しましたっけ。
誰にも正体を明かさないままに、
実は忍者であることになってしまったあなたを尊敬の眼差しで見つめたあの子は、
あれから忍者になるための修行を始めましたね。
この世界での人生が、もしも修行であるのだとしたのなら、
あの頃のあなたの言葉は、強ち、間違えではないのかも知れない。
あの頃のことを思い返しながら、
ふと、私の中に、こんな視点を見つけました。
立派に修行を終えた今のあなたならきっと、
壁抜けの術を習得出来ているのでしょう。
ほら、例えば、お盆に帰って来た時のあなたは、
ドアも襖も関係なしに、壁抜けの術を使って、
この家の中で自由に過ごしているでしょう。
あなたが習得した技は、きっと壁抜けの術だけじゃないのよ。
隠れ身の術も得意なはず。
その気配すらも上手に隠しながら、あなたはきっと、
私たちが思っているよりもずっと側で、
見守ってくれているのでしょう。
そんなあなたは時に、隠れ身の術を解かないままに、
幼い頃に、忍者になることを夢見ていたあの子の髪を撫でながら、
そっと、語りかけているのかも知れない。
この世界での修行を楽しんでねって。
この世界での修行を終えた今のあなたは、
きっと、自由自在に様々な術を扱っているのよ。
そう。忍者みたいにね。
ふと、こんな視点で、
今のあなたを思い描いてみたら、なんだか笑ってしまいました。
あなたを想う時は、寂しい時や悲しい時ばかりではなくて、
時々には、こんなふうに、別な視点を見つけては、
今のあなたを思い描いて、楽しんでみたりもします。
そこにいるあなたは、なんだかとても楽しそうで、
私までもが、思わず笑顔になってしまうよ。
時々には、こんな視点や気持ちも大切に、
この世界での修行を楽しんでみるよ。