あなたへ
あぁ、そっか
また2つに戻ったんだね
あなたと私。2人分のマグカップを並べて、不意にこんな言葉を呟いたのは、
いつも通り、夕方にコーヒーを淹れていた時間のことでした。
2つ並んだマグカップを見つめてみれば、
私が今、何を見ているのかに気が付いて、
あなたがくれたものの大きさに改めて気付かされたのでした。
あなたへのコーヒーを淹れること。
これはあなたが、この世界にいる私に遺してくれた唯一の、
あの夏からも変わらずに続く時間。
いつもの時間になると、あなたの分と私の分のコーヒーを淹れ続けた私の瞳に、
やがて映るようになったのは、3つのマグカップが並ぶ景色でした。
そこに見える景色を見つめながら、
もしも、あの夏の運命が違っていて、
あなたが側にいてくれる今を過ごす私が此処にいたとしても、
きっとそこには、今と全く同じ時間が流れているんだろうなって、
こんなことにふと気が付いたのは、いつのことだっただろう。
あの子が巣立った今、此処にあるコーヒーを淹れる時間もまた、
私の望み通りの未来と同じ景色を見ているのだということに、
漸く、今になって気付くことが出来たのは、
こうしてあなたへのコーヒーを淹れる時間が、
私の中へと溶け込みすぎていたからなのかも知れません。
あなたが此処にいてくれたらと、
見ることの出来なかったあの夏の未来を何度も思い描いてきた私ですが、
あなたへのコーヒーを淹れる時間の私に見える景色だけは、
我が子が巣立った後に見える夫婦2人だけの景色なのだということに、
ふと気が付いてみれば、
この時間だけは、私はこの家にひとりぼっちではない気がしました。
帰宅して、小さく呟くただいまのこの声に、
誰もおかえりとは言ってはくれないけれど、
不意に玄関が開く音もしなければ、
おかえりという言葉を使うことも日常ではなくなってしまったけれど、
でも、ひとつだけ、
あの夏の続きはこの世界へと存在し、
ちゃんと夫婦2人だけの形が、この瞳に映っていることに気が付いて。
改めて、あなたがどんな時間を私に遺してくれたのかを、
大切に見つめてみました。
この世界に見えるのは、
私たちが夫婦となった日から続くコーヒーの歴史。
大切な時間を私に遺してくれたあなたへ、
改めて、ありがとう。