あなたへ
あの子が通った小学校の近所にある駄菓子屋さんを覚えていますか。
近所の小中学生で賑わい、あのお店の周りには、
いつでも、たくさんの子供たちが集まっていましたね。
あの子もまた、他の子たちと同じように、
あのお店へと出入りするようになったのは、
小学生になり、暫くが経った頃からでした。
顔馴染みになった店主と、たくさんの話をしたあの子。
日々の出来事を聞かせてくれるあの子の話しの中には、
時々、あのお店の店主の話がありました。
高校生になると、皆、来なくなっちゃうんだよね
寂しいものだよ
そんなふうに笑っていた店主の話を聞かせてくれたのは、
あの子が間も無く、高校生になろうとしている頃のことでした。
俺たちは、高校生になっても来るよ
店主との談笑の中、あの子はそんな言葉を返したそうですが、
あの子も、一緒に通った友達も、例外なく、
高校生になると、あの店から足が遠のいたのでした。
交友関係が広がり、行動範囲も一気に広がる高校生活。
遊びやアルバイトと、多忙にもなるその時期が来ると、
きっと誰もが皆、自然と、あのお店を卒業していくのでしょう。
そんな、この辺りの小中学生の憩いの場だったあのお店ですが、
この春を目前に、閉店になりました。
噂によれば、
店主の体調が、あまり優れないことから、閉店を決めたとのことでした。
閉店の噂を聞いたあの子は、お店の最終日に、
店主へのお別れの挨拶に出掛けました。
店内は、ほぼ空っぽで、もう、売り物は残っていなかったけれど、
店主の顔を見に、たくさんの人が訪れていたようでした。
近所の子供たちはもちろんのこと、
幼子を連れた若いご夫婦から、
私たちくらいの年代の方まで、
様々な人たちが、お店に集まっていたそうです。
俺のこと覚えてる?
そう声を掛けると、
覚えているよと、笑顔を見せてくれた店主と、暫し、
思い出話に花を咲かせたあの子。
体を壊したって聞いていたけれど、元気そうだったよ
あの日のあの子の話は、
そんなふうに締め括られたのでした。
あの子の話を聞きながら、
いつかのあの子が話してくれた、店主の話を思い出していました。
店主は、昔、別な地で、商売をしていたそうです。
その商売は、大成功し、かなりの財を得ました。
きっと、これからその商売を、
どう広げていこうかと考えていたことでしょう。
ですが、そんなある日に、
店主のご家族が体調を崩してしまったのです。
店主は、それまでの商売を辞めて、
故郷であるこの地へと戻り、あのお店を始めたそうです。
近所のあのお店は、儲けのためでは無く、
店主の趣味なのだと、
あの時のあの子は、話して聞かせてくれました。
聞けば、あのお店には、
30年ほどの歴史があるそうです。
店の閉店の噂を聞きつけ、
あのお店を卒業していった、
たくさんの、かつての子供たちに囲まれて、閉店することが出来たこと。
きっと、店主は、この上ない幸せを胸に、
お店を閉めることが出来たでしょう。
この辺りで育った私ですが、
ここからは、少し離れた学区で育ちました。
私は、あのお店の存在を知らずに、大人になりましたが、
この地で子育てをしながら、
あの子を通して、店主を知り、
店主から、大切なことを学ばせて貰った気がします。
店の閉店から、間も無く1ヶ月が経ちます。
鎖が張られ、静寂とした敷地を眺めながら、
一度だけ、店主と言葉を交わした日のことを思い出しました。
とても気の良さそうな店主であったこと、
今でも、よく覚えています。
店主が、いつかのあの子に聞かせてくれた昔話には、
きっと、語られることのなかった、
計り知れない苦労や苦悩もあったことかと思いますが、
他の地では、数字に見える財を。
そして、この地では、お金では買えない財を。
その苦労の分だけのたくさんの財を手に、
きっとこれからは、奥様と2人、
静かに、ゆっくりとした時間を過ごして行くのでしょう。
人の数だけ、人生があり、物語があるのだと思います。
あの子を通して知った店主の物語に、
私は、たくさんことを教わりました。
静かになった敷地の前を通る度に、
私はきっと、店主の物語を思い出すのでしょう。
店主の穏やかな幸せを、そっと祈りながら。