「え?なにそれ、大変じゃん!」
これは、あの子の声だ。
夫が、今こうして此処にいる理由を詳しく説明して聞かせたのだ。
『そうなんだよ。今の向こう側がどうなっているかも分からない。』
「向こう側の人たちってさ、テレパシーみたいなのとか使えないの?」
こんなあの子の声には、似たようなことは出来るけれど、
物質化されたことにより出来なくなってしまったようだと、夫は答えていた。
あの子が帰って来て、暫くの間、父子の再会を喜び合った2人はやがて、
テーブルへと着いた。
3人分のコーヒーを淹れた私も、テーブルへと着くと、私たちは、
今回の件について話し合った。
向こう側のエネルギー問題も確かに重要だが、
物質化されてしまった夫が元に戻れないということの方が、
私たちには重要であるようにも思えた。
本当は、このまま此処で一緒に暮らすという選択肢もまた、
有りなのではないかと私の中には過ってしまう。
もしも、このまま夫と過ごすことが出来たのなら、とても幸せだろう。
でも、きっと夫はそんなことは望んではいない。
気持ちが揺らぐ度に、
昨日あの道で、頭を抱えていた夫の姿が頭をかすめるのだ。
そして、このまま夫と一緒に暮らす未来を思い描こうとすればするほどに、
私の中の何かが訴え掛けても来るのだ。
今の私がやるべきことは、本当にそれなのかと。
様々に葛藤はある。
でもさ。
夫が私たちの幸せを望んでくれているように、私も夫の幸せを望んでいる。
だから私は、夫を無事に向こう側へ還してあげたい。
この出来事に対して、こんなふうに向き合う気持ちを持てた私を、
私はなんだか誇らしくも思えたんだ。
「他にも、物質化されてしまった人っているのかな。」
実はこれは、昨日から私が疑問に思っていたことだった。
もしも、他にも物質化されてしまった人がいるのなら、
その人に会いに行ってみるのも手なのかも知れない。
『どうかな。確かにこの研究には、色々な魂が関わってはいたけれど。
俺は物質化されちゃったし、その後の向こう側の様子も分からないし。』
「爆発が起こる時に、あなたの一番近くにいた魂の人は?覚えてる?」
もしも、会いに行ける距離にその人がいるとするのなら、
仲間のような存在が直ぐ側にいた方が、夫も心強いのかも知れないとも思えて来た。
でも・・・。
『うーん。でもなぁ・・・。あの時、俺の直ぐ近くにいたのって、
直前の生は、ゴリラだった魂だからなぁ。
物質化されているとしたら、今頃、ゴリラになってると思うんだよな。
いるとしたら、アフリカかな。』
ゴッ・・・ゴリラ・・・。
その魂は、ゴリラになる前は、
ゴリラの生態系についての研究をする人だったらしい。
研究を進めて行く中で、ゴリラに魅了されたその人は、
次の生でゴリラに生まれ変わったのだそうだ。
因みにその魂は、知識も経験も豊富で、
とてもレベルが高い魂なのだと、夫はこんな話も聞かせてくれた。
「えっと、じゃぁ、他に思い付く方法は・・・。」
ゴリラというくだりから、笑い転げているあの子に助けを求めれば、
あの子は、少し悩んだ顔をしながら、口を開いた。
「これ、言っちゃいけないのかも知れないんだけど・・・。
例えば、もう一回死んだとしたら、元に戻れるのかな。」
『おいおい、本気で言ってる?怖いこと言うなよ。』
そう言いながらも、夫は笑っている。
・・・ごめん。実は今、私も同じこと考えた・・・とは言えないままに、
次の誰かの言葉を待っていれば、口を開いたのは、夫だった。
『そうだな・・・。例えば、水が入っているコップを想像してみてほしい。
この世界に生まれ落ちる時に貰える肉体は、コップと同じなの。』
肉体を持つということは、それぞれに与えられたコップの中に、
水、即ち、自分という魂が入るような状態なのだと言う。
でも、今の夫は、コップがないにも関わらず、
薬品の力によって、中身の水だけで形が作られているような状態なのだそうだ。
『俺はこの世界にもう一回生まれてきたわけじゃないから、
死ぬこと自体、出来ないよ。』
そっか・・・そうだよね。
夫の身体が、生身の身体ではないことは、分かってた。
今、目の前にいる夫に触れれば、とても温かなのに、
それは、私がよく知っている夫の温度である筈なのに、でも、
どんなに夫を強く抱き締めてみても、耳を澄ましてみても、
聞こえる筈の音が、何も聞こえないもの。
もう、夫の生は、ここにはない。
夫は、あの夏に、死んでしまったのだ。
今ここに夫の姿が見えていても、その現実は変わらない。
・・・。
いや!ダメだ!こんなふうに考えてはいけないよ。
だって私は、夫を無事に、向こう側へ還すのだと決めたのだから。
そう。次の策!次の策は?
何かないの?
えっと・・・そう!
要するに!!
「あなたを分解すれば良いってことよね?」
って、私は何を言ってるの?
いや。違うの。違うのよ!
物質化されたのなら、それを分解する方法を考えれば良いのではないかと思ったの。
それなのに、あの子は爆笑しながら言ったの。
「夫を分解する妻!!」
って、ホラー映画のタイトルみたいなのやめて!
気付けば夫もあの子と一緒に笑っていて。
そんな2人につられて、私も笑ってしまった。
そうして、笑い疲れた頃に、夫が言った。
『2人とも、少し眠った方がいいよ。起こしてあげるから。』
気が付けば、間も無く夜明けだ。
夫に促された私たちは、少しだけ眠ることにした。
でも、夫だけは、眠らない。