拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

この人生を選んで生まれて来た理由

あなたへ

 

人ってさ、どうして生まれて来るのだろう。

 

その年齢を迎えたら、幼稚園に通って、小学校へ通って、中学校へ通って。

中学校を卒業すれば、高校生になることが当たり前でさ。

 

まぁ、人によっては、幼稚園ではなくて、保育園へ通う子もいる。

でも、多少の違いはあっても、

誰の人生も、生まれた時から大体、決まっているようなものよね。

 

高校を卒業したら、大学へ行くのか、専門学校へ行くのか、

または、就職するのかという分岐点があるけれど、

それは、人生においての僅かな選択肢に過ぎないのよ。

だって、大学や専門学校を出たら、結局は就職をするのが当たり前だし、

年頃になったのなら、結婚することが当たり前。

 

ある程度の年齢を過ぎても、独身だったら、きっと陰で言われるのよ。

あの人、何か問題があるのかしらってね。

 

でもね。素敵な人との巡り合いがあって、結婚したとしたのなら、

今度は、別な台詞が用意されているの。

子供は?って。

1人子供が産まれたのなら、2人目は?って聞かれるのよ。

 

要するに、学校を出たら、どこかの会社で働いて、

ある程度の年齢を迎えたら、

結婚して、2人の子供を持つことが、人間の正しい生き方。

これ以外の人生を生きることは、人間の正しい生き方から外れるってことなのよ。

 

あぁ!つまらない!!

人は皆、この、決められた人生を送るために、態々、生まれて来たの?

なんで?

 

これは、不意に蘇った、いつかの私の考えごとです。

 

こんなふうに人生を見つめていたのは、

中学生の頃だったか、高校生の頃だったか。

大人と呼ぶには、幼過ぎる。

かと言って、子供と類別されるのは、なんだか癪に障る。

そんな中途半端な年齢だった私には、

こんなことを考えながら、人生を見つめていた頃がありました。

 

すっかり忘れていた記憶は、今の私を驚かせましたが、

蘇ったばかりの記憶を見つめてみれば、やがて私は、納得することが出来たのでした。

 

大人になることはつまらないことだと考えていたのは、

きっと、此処が原点だったんだろうなって。

 

大人になることへ、純粋な憧れを抱いていたのは、幾つまでだっただろう。

私には確かに、将来は、どんな人と結婚するのだろうかと、

ずっと先の未来を思い描いていた頃がありました。

 

でも、きっと私は、日常生活の中で聞こえて来る声を集めながら、

成長と共に、自分の目で、周りの大人を観察するようになり、

人間の一生についてを、上記のように、自分の中で完結に纏めたのでしょう。

 

やがて、人生についてをこんなふうに考えていた頃の自分のことなど、

すっかり忘れしまっても、

きっとその残像までもは、消えたりはしない。

 

大人になることは、きっとつまらないことなのだと漠然と考えていたことも、

結婚願望がなかったことも、

過去の自分が人生を見つめた残像が、

確かに私の中へと根付いていたからだったのだと思います。

 

折角、言葉を話せて、頭で考える力を持っていて、

絵を描くことも、歌うことも、何かを作ることも出来る。

洋服やアクセサリーを使って、お洒落を楽しむことも出来るし、

髪型を自由に変えることだって出来る。

 

人間って、こんなに自由に何かを出来る生き物なのに、

本当は、全然、自由じゃない。

何が楽しくて、人は生きているの?

 

これは、蘇った記憶を辿った先で見つけたあの頃の私の小さな声でした。

 

人は皆、見えないレールの上を歩んで行くものだとするのなら、

お洒落も、絵を描くことも、

決められたレールの上で楽しむことも出来ると言えるのでしょう。

 

ですがあの頃の私にとってのそれは、

縛られた人生の中での僅かな楽しみであることに過ぎず、

決して幸せな人生を送っていることにはならなかったのです。

 

それは、私の周りにいた大人たちが、誰一人として、

幸せそうには見えていなかったからだったのかも知れません。

 

誰もが我慢をしながら生きていて、本当にやりたいことをしていない。

それなのに、皆、どうして生まれて来たの?

 

インターネットの世界など知らず、

狭い世界しか知らなかったあの頃の私は、

これが人間の正しい生き方であると強調するかのように、

誰もが、同じような道を辿っている様子を見つめて、嫌気が差していたのでした。

 

あれからずっと先の未来で、

私は、あなたと出会い、愛する人と家族になるということが、

どれだけ幸せなことであるのかを知りました。

 

私たちの元に生まれて来てくれた小さな命を初めて抱いた日は、

言葉にならない気持ちを知りました。

 

家族という絆。

小さな日常に散りばめられた幸せの瞬間。

そして、子育ての尊さ。

 

あの頃の私が、人生はつまらないと感じていた物事を経験し、

その素晴らしさを知った上で、

自分が思い描く目標へ向かって歩む私が、今、此処にいます。

 

こうして、ずっと若かった頃の自分が、

どんなことを考えていたのかを、ひとつ思い出し、

あれから先の私が歩んだ道のりを振り返ってみれば、

この人生を選んで生まれて来たとするのなら、

その理由への視点を、

またひとつ見つけることが出来てしまったのかも知れないとも感じました。

 

あなたと一緒に、人生を歩み続けていたかった。

 

こんな気持ちを抱えたままの私だけれど、でも、

この人生を選んで生まれていなければ、

私は、自分の人生に真剣に向き合う自分には、なれなかったのかも知れません。

 

私には、自分の夢を見つけた筈なのに、

それをどう叶えたら良いのかが分からずに、

周りに流されるように生きるしか出来なかった過去があります。

 

でも、例え周りに流されたとしても、

こんなふうに、幸せな未来はやって来るのだと、

押入れの中へと収めた、

かつての私が大切に抱き締めていた夢を、そっと指で辿ったのは、

そう。あの子が生まれたばかりの頃のことでした。

 

きっと私はこれから、時間を掛けて、この夢を、

完全な過去として受け入れて行くのだろうけれど、

押し入れに仕舞ったかつての夢もまた、

今の私の大切な一部であることに変わりはない。

だからこうして、あの頃の私が持った夢を押し入れに収めたままで、

今、此処にある大切な人生を歩めば良いのだと、

そんなふうに私は、

目の前にある小さな寝顔を、愛おしく見つめたのでした。

 

私は、私が見つけた大きな夢を叶えることは出来なかったけれど、

でも、今がとても幸せ。

こんなふうに前を向き、あなたと共に歩んだ人生は、とても幸せでした。

 

それなのに、あの夏を迎え、あなたは此処から居なくなりました。

 

此処から居なくなったあなたは、私に、新たな夢を持たせ、

そして、時間を掛けて、

人生に真剣に向き合うことを、私に学ばせました。

 

この人生での出来事を、感情を込めず端的に纏めるとするのなら、

かつては、流されて生きることを選ぶことしか出来なかった私を変えたのは、

此処から居なくなってしまったあなただと、言うことが出来るのでしょう。

 

もしも、人にはそれぞれ、生まれて来た目的があるとするのなら、

子供の頃に漠然と考えていたことは、

その人生の目的へとヒントが隠されているものなのかも知れない。

 

蘇る記憶を集めながら、私はいつの頃からか、

漠然とこんなふうに考えるようになりましたが、

これまでに集め続けた記憶たちと、新たに蘇った記憶を繋ぎ合わせてみれば、

私は、この人生を選んで生まれて来たと言える理由を、

やはり見つけてしまったのでしょう。

 

突然に蘇った衝撃的な記憶は、

更に私に衝撃的な視点を見つけさせました。

 

胸が痛いです。

今すぐにでも、泣いてしまいたい。

 

本当は、泣いてしまいたいけれど、

でも、私はやはり、この人生でしか得ることのできない何かを目指すために、

この人生を選んで生まれて来たのかも知れません。

 

胸の奥が痛過ぎて、叫び出したい衝動にも駆られてしまうけれど、

でも、此処から更に先に見つけることの出来るであろう景色を、

私はどうしても見てみたい。

 

ねぇ、あなた。

今、此処に感じる痛みをちゃんと感じ切ったのなら、

私はまた此処から先へと歩んで行くから。

だからきっと、何処かで見ていてね。

 

 

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